War of the Triple Alliance:
Paraguay 1865 - 1870
#245 January 2007

 


第一次大戦とオスマン帝国

北米大陸で南北戦争が終りに近づいた1965年、Paraguay軍がArgentineのCorrientiesに侵入してはじまった戦争は、南米でもっとも凄惨なものとなった。一日で数千人が死亡する戦闘が繰り返され、戦争は、それに参加したすべての国の運命を変えた。
Triple Alliance Warが終わった時、Argentineは統一した国家として再生し、Brazilは共和国となり、Urguayは独立が周辺国から認められ、Paraguayは連合国の統治下におかれた。その時、Paraguayの成人男性の80%は戦死していた。

戦争の記憶は各国の民話や遺跡に今でも残り、中でもParaguayの人々はこの戦争を次の言葉で誇りを以って語る - Guera Grande、「偉大な戦争」

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付録ゲーム
「Triple Alliance War」は、新世界で戦われた、南北戦争に次ぐ大規模な戦争を描いた2プレイヤーゲームである。パラグアイが、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ連合軍と戦う。
ゲームは1965年のパラグアイ軍のアルゼンチン領侵入からはじまり、1868年半ばに終わる。連合軍の目標はパラグアイ川をさかのぼり、パラグアイの首都を占領すること。1ターン3ヶ月でゲーム時間は3〜4時間、予告されたゲームシステムとはだいぶ異なっている。Javier Romeroがゲームデザイナー。

 

FYI: 2006年 レバノン侵攻

イスラエル軍(IDF)による2006年のレバノン侵攻は、1982年のベイルート侵攻以来の大規模な軍事行動だった。しかし、結果はHezbollahを壊滅させるのにほど遠いものだった。

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1940年フランス陥落の誤謬と真実

第二次大戦直前のフランス軍の軍事ドクトリンは防衛主体のものであった。

一般に流布される誤謬は、フランス軍は、マジノ戦線の無用な要塞の構築に膨大なコストと労力を費やしたため陸軍の機械化を怠った、というものである。ドイツとフランスの戦車の保有数を比較するなら、この説は間違いである。

1940年3月の西部戦線において、フランス軍の戦車保有数はドイツ軍のそれを33%上回っていた。フランス軍が約3,200両 (Renault 35s 900両、H35/39s 770両、S35s 300両、Char Bs 274両など) であるのに対し、ドイツ軍は約2,400両 (一号戦車 523両、二号戦車 955両、三号戦車 349両、四号戦車 278両など) だった。

一般的に、装甲と武装においてもフランス軍の戦車の方が優れており、フランス軍の戦車砲と対戦車砲は事実上すべてのドイツ軍戦車の装甲を貫通できたのに対し、ドイツ軍の37mm砲は400メートル離れたフランス軍戦車に無力だった。

フランス軍の作戦は、マジノ戦線でドイツ国境からのドイツ軍の侵入を阻止、ベルギーに誘導、ベルギー国内でドイツ軍と戦うことだった。ベルギーで交戦している間にフランス陸軍は予備役を招集し、ドイツ軍の侵攻を阻止する。理論的には、フランスの戦略は正しいものだった。

中世の戦争技術

ヨーロッパ古代の軍事史において、軍隊のバックボーンとなる歩兵は「戦闘の華」だった。ギリシャの重装歩兵、マケドニアの装甲歩兵、ローマの軍団兵は、いずれも勇猛果敢な歩兵の集団であった。
しかし中世、すなわちローマ帝国の終わりからコンスタンチノープルの崩壊までの間、状況は一転し騎馬戦士が戦力の中心になる。

 

近未来戦争のための米陸軍再編成

米陸軍は、第二次大戦以降最大の編成替えを行っている。すなわち、従来の師団単位の戦闘単位が旅団単位となり、それぞれの旅団はBCT (旅団戦闘チーム、Brigade Combat Team) と呼ばれる「モジュラー」になる。

BCTには、Armored BCT、Infantry BCT、Stryker BCT、Support Units of Action (SUA) の種類がある。
モジュラー化の目的は、

  1. Deployability (展開の容易さ)
  2. Leathality (殺傷能力)
  3. Jointness (再編成の容易さ)

を獲得することである。

これが計画通り実現すると、司令官は異なる師団から好みの旅団を引き抜き、作戦にあわせて再編成できる。
各BCT連携のために、司令部はより多くの指令スタッフを必要とする。


S&T 予告

付録ゲーム「Manila '45: Starlingrad of the Pacific」は、大西洋戦線におけるもっとも激しい市街戦のひとつを、速攻的な集中度の高いゲームシステムで描く。

過去のS&T

50号前#195
Borodino & Friedland


「Napoleon's Last Battles」のシステムを引用した付録ゲームは、W. DippelとJ.Werthによるナポレオン戦争の主要な戦い。Bill Grayによるナポレオンの指揮統制、Brian Trainは朝鮮戦争の政治師団の記事。

150号前#145
Trajan


トラヤヌス帝時代の戦争をJoseph Mirandaがゲーム化。このゲームシステムは後に三つの古代戦争のゲームに引きつがれた。Dan Verssenによる1990年代の海戦、Matt Cafferyがheater Warfare Exercise/Agileのウォーゲームの記事。

150号前#95
Soldiers of the Queen

Richard BergとE. Sollersが作ったゲームは、大英帝国の著名な戦争、「Isandlwara 1879」と「Omduraman 1898」。Dr. David G. Martinによる帝国主義のトップ記事、Ian ChadwickはSSI社のゲームレビュー。

200号前#45
Operation Olympic

計画されたが実行されなかった連合軍の九州上陸作戦。ゲームデザイナーはJim DunniganとRedmond Simonsenであり、S&Tに掲載された数少ないソロゲームである。Franck Davisがオリンピック作戦の記事、Stephen B. Patrick、John Boardman、Redmond Simonsenが「Star Force」などのSFゲームについて、「Seelowe」のデザイナーズノート、89のウォーゲームのレーティングは1974年に出版されたほとんどのウォーゲームを網羅している。