第二次大戦直前のフランス軍の軍事ドクトリンは防衛主体のものであった。
一般に流布される誤謬は、フランス軍は、マジノ戦線の無用な要塞の構築に膨大なコストと労力を費やしたため陸軍の機械化を怠った、というものである。ドイツとフランスの戦車の保有数を比較するなら、この説は間違いである。
1940年3月の西部戦線において、フランス軍の戦車保有数はドイツ軍のそれを33%上回っていた。フランス軍が約3,200両 (Renault
35s 900両、H35/39s 770両、S35s 300両、Char Bs 274両など) であるのに対し、ドイツ軍は約2,400両
(一号戦車 523両、二号戦車 955両、三号戦車 349両、四号戦車 278両など) だった。
一般的に、装甲と武装においてもフランス軍の戦車の方が優れており、フランス軍の戦車砲と対戦車砲は事実上すべてのドイツ軍戦車の装甲を貫通できたのに対し、ドイツ軍の37mm砲は400メートル離れたフランス軍戦車に無力だった。
フランス軍の作戦は、マジノ戦線でドイツ国境からのドイツ軍の侵入を阻止、ベルギーに誘導、ベルギー国内でドイツ軍と戦うことだった。ベルギーで交戦している間にフランス陸軍は予備役を招集し、ドイツ軍の侵攻を阻止する。理論的には、フランスの戦略は正しいものだった。 |