74日間続いたフォークランド戦争は、1980年代の国際社会に軍事紛争と情報収集について新しい概念を与えた。
南大西洋の吹きさらしの島をめぐって戦った両軍にとって、この戦争は結果的に、自軍の軍事力をこれまで不可能だったレベルまで評価する機会となり、それゆえに世界中の政治家や軍人からも注目された。
フォークランド戦争は、イギリス軍とアルゼンチン軍の長所と短所を白日の下に晒した、おそらく最後の"植民地戦争"である。
政治
戦争をはじめた当事者国の視点から、フォークランド戦争が何によって始まったかを考えることは重要である。NATOの主要国であるイギリスは、軍事力を投入するべき紛争はヨーロッパ以外にありえない、と考えていた。
一方、アルゼンチンは、歴史的に無秩序な政治情勢を経て、1981年の軍事クーデターによって政権が誕生、南アメリカにおける権力を確立したばかりだった。
全面戦争にはならなかったものの、両国はもっとも優れた部隊と兵器をフォークランド戦争に投入した。数に違いはあるものの、双方とも世界でもっとも殺傷力のある通常兵器を装備していた。いずれの国も国民は戦争を文化的、政治的に支持し、戦争が進行して被害が報道されると、感傷的なムードが生まれた。
イギリスは、戦略的、作戦的なすべての面で優れていたため勝利できた。いくつかの小さな戦術的例外を除いて、イギリス軍は準備、リーダーシップ、偵察、攻撃性、装備の配置、個人レベルでの戦意においてアルゼンチン軍を凌駕していた。 |