2005年8月、イスラエルがガザから撤退すると、ハマスとファタハの間で武力衝突が起こった。そして2007年5月、数百名のファタ派が殺害され、ハマスがガザの実権を握った。ハマスを支援したのはイランだった。経済的援助のみならず、ロケットや対戦車ミサイルも提供していた。
ハマスは25,000名の戦闘部隊から成り、5つの旅団に分かれていた。その他に6,000人の処刑部隊とQuassamロケット旅団があり、Quassam旅団は2002年から迫撃砲や40kmの射程のあるQuassamロケットでイスラエル国内を攻撃していた。
2008年6月、イスラエルとハマスが停戦に合意した時も、Quassam旅団は一週間に数発のミサイルを発射していた。12月19日に停戦が終了すると、Quassam旅団は一日に数十発のロケットや迫撃砲で攻撃、12月24日には60発を数えるほどになった。
イスラエルはこの間、何もしていないわけではなかった。総合保安庁シン・ベトは、6ヶ月間の停戦の間に、ハマスの施設や作戦、上級将校の居住地などを突き止めていた。シン・ベトに協力したのはガザに潜入したファタハだった。
作戦名「Cast Lead作戦」は、N.H.ビアリクの詩「ドレイドルを鉛で鋳造する」から引用され、目的はハマスのミサイル攻撃を不可能にし、エジプトとの間の武器密輸トンネルをつぶすことだった。
イスラエル軍は2006年夏のレバノン侵攻(対ヒズボラ)から教訓を得ていた。空軍力のみでハマスと戦うことは不可能で、地上軍の投入が不可欠だった。レバノン侵攻と異なり、イスラエル軍の各部隊には、ガザ内の明確な目標が決められ、ガザ地区を模したモックアップの施設で訓練まで行っていた。
作戦は12月26日午前11時30分、第三次中東戦争以来の大規模なイスラエル空軍の空襲からはじまった。それはハヌカの6日目のことで、60機の航空機と攻撃ヘリが5分間で50箇所の目標を攻撃した。目標には、ハマス政府ビル、護衛施設、トレーニングキャンプ、警察署が含まれた。30分後には別な60機が第二派攻撃を行い、作戦初日には170箇所が攻撃を受け、286人のパレスチナ人が死亡した。
8日間の空襲の後、イスラエル地上部隊がガザに突入した。ハマスは、イスラエル軍が市街の内部深く侵入することを期待していた。ハマスの戦法は、病院、学校などから攻撃することであり、市民に犠牲者が出る攻撃をイスラエル軍に強いることだった。それに対し、イスラエル軍は長距離射撃で攻撃した。
Cast Lead作戦によって700名以上のハマスが死亡、少なくとも150名が捕虜になった。一日に70発を数えたハマスのミサイル射撃は20発まで減り、武器密輸トンネルの2/3は破壊された。この作戦におけるイスラエル側の死亡者は3名だった。 |