1898年のアメリカ陸軍
当時のアメリカ陸軍の総数は、将校と将校と下士官兵を含めて約28,000名だった。南北戦争から4年経過しており、インディアン対応のために中隊から大隊規模で全米に分散していた。兵士の錬度は高く、健康状態も良く、装備も最新のものだったが、大規模な軍事行動には不慣れだった。
ラフ・ライダーズ
サンチャゴ攻略戦に加わった部隊の中には、セオドア・ルーズベルト大佐が副官を努める第1合衆国義勇騎兵隊、通称ラフ・ライダーズ (Rough Riders、荒馬乗りたち)がいた。名称は騎兵隊でありながらも実質は歩兵隊であり、最新のKraag-Jorgensonカービン銃で武装していた。
義勇騎兵隊はアメリカのあらゆる地域からの志願者で構成され、職業はカウボーイ、牧場主、教授、果てはセオドア・ルーズベルトの知人の銀行家やロングアイランドのスポーツマンまでも含む、アメリカ独立を象徴する部隊だった。部隊のカービン銃はルーズベルトのコネで取得したものだった。
ルーズベルトは海軍次官を辞してこの部隊に参加していた。彼はラフ・ライダーズの司令官をオファーされたが、陸戦に経験が十分でないという理由から自ら副官に降りて戦った。ラフ・ライダーズの戦意は高く、133日間の作戦中、一件の懲戒もなかった。
ルーズベルト大佐は、カウボーイの言葉を話し、シェークスピアを論議できる社交家だった。特別扱いを求めず、Las GuasimasとKettle Hillの戦闘では勲章に値する指揮力を発揮した。ルーズベルトはその後何年たっても、ラフ・ライダーズの元兵士達と会うと、必ず立ち止まって会話を交わしたという。
|