Vietnam 1965 :
これは我々の戦争だ
#239 October 2006

これは我々の戦争だ

1954年5月8日、フランス軍基地・Dien Bien Phuの陥落によって、東南アジアに対するフランス植民地政策は終りを告げた。
ラオスとカンボジアは独立国となり、ベトナムは17度線で南北に分断され、総選挙によるベトナム政権統一が1956年に予定された。問題は、南北両政府ともに、選挙によってベトナムを統一する意思がないことだった。

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アサンテ王国の戦争 1873年
西アフリカ(現ガーナ)のアサンテ王国の繁栄の源は金だった。12世紀の時点で、後の首都Kumashi(クマシ)は既に30,000人の人口を抱え、人々は当時としては近代的な、石造りの建物に住んでいた。
15世紀、ポルトガル人が沿岸に城塞を築いてアサンテ族と貿易を行なうと、Kumashiから120キロ南の海岸は「黄金海岸」と呼ばれるようになった。アサンテはヨーロッパ人と直接貿易を行わず、海岸部に住むファンテ族を通じて行なった。アサンテはファンテ族を蔑んでいた。17世紀前半、貿易はオランダに引き継がれ、アサンテ王国は貿易で得た銃火器でファンテ族を含む周辺の部族を支配した。

やがて、ヨーロッパ諸国で奴隷貿易が禁止となり、1873年にオランダは黄金海岸の権益をイギリスに売却した。イギリスは土地、交易権を含む完全な権利をオランダから買ったと思っていたが、アサンテ王国はまったく別の理解をしていた。土地はアサンテ王国のものであり、オランダ人は有償で居住権を貸りていたのだから、オランダ人が出て行った後の土地はアサンテのものである、というものであった。一方、オランダはイギリスに、アサンテ人は召使であり、オランダ人がアサンテ人に支払っていたのは「賃金」である、と説明していた。

オランダが「賃金」の支払いをやめ、イギリスが海岸部の土地を継承した時、戦争は始まった。
1066: ヨーロッパのすべてが変わった年

次号の付録ゲームは「1066: ヨーロッパのすべてが変わった年」。
イングランドをめぐっての、アングロサクソン、ノルマン人、バイキングのマルチプレイヤーゲーム。プレイヤーは、戦争、外交、そして裏切りを通じてイングランドの王をめざす。

USAAF (アメリカ陸軍航空隊) のヨーロッパ戦線、1942-45

1942年、USAAFは北アフリカ戦線で苦戦を強いられた。北アフリカにおける機数において、連合軍はドイツ軍を上回っていたものの、連合軍の空軍基地はドイツ軍より遠隔地にあり、ドイツ軍は局地的な優位のもとに戦うことができた。

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過去のS&T
50号前#189
Charlemagne

暗黒時代に帝国を建設するこのゲームは、後にXenophon、Belisarius、Khanにルールが引用された。その他、Bill Brayの1815年La Souffelの戦い、John Burttの1940年ノルウェー、David Nicholasの南北戦争、Jim Bloomのドイツ陸軍の機動。

100号前#139
Arabian Nightmare

Austin BayとJim Dunniganによる湾岸戦争を描いたこのゲームは、湾岸戦争が実際に始まる直前にゲーム化された。この号は中東の軍事情報で一杯

150号前#89
Sicily

Greg Costikyan、D. Rustin、Al Nofi、Red Simonsenによる1943年の連合軍シシリー島上陸作戦。Richard Bergの南北戦争の記事、など。
200号前#39
Fall of Rome

S&T初のソロゲームは、ペルシャ人、周辺の蛮族、裏切りと戦うローマ皇帝の物語。Al Nofiがデザイン。その他、ガダルカナルの記事など。

Winged Horse: 1965-66

239号の付録ゲーム「Winged Horse: 1965-66」は、ZOCなし、MAY ATTACKのキャンペーンゲームで、1ターン=1週間で初期のベトナム戦争を描く。
5ターンのショートシナリオと20ターンのロングシナリオがあり、プレイ時間はロングシナリオで6〜8時間。北ベトナム側プレイヤーは最大10個のダミーユニットを使うことができ、移動はアメリカ軍より有利である。アメリカ軍は、ヘリコプター部隊に移動と攻撃のアドバンテージがあり、第1騎兵師団用の特別ルール、包囲戦ルール、砲爆撃ルールなどがある。

 

S&TとDecision Games社の歴史
#140
#176
#212

Decision Games社がS&Tの出版権を獲得してから16年が経ち、239号は100冊目に当たる。最初に140号を出版してからの数年間は大変だったが、その後より多くの写真と図版を加えるなど改良を重ねて発行部数を増やした。もっとも大きな変化は、176号からゲームなしの書店版S&T誌を発行して、ニューススタンドにまで販路を広げたことであろう。
212号でフルカラーにしたことが成功し、それから数号の後に書店版はウォーゲーム版と同じ発行部数となり、現在、書店版は1000以上の店舗で販売され、その部数はウォーゲーム版の二倍近くになる。過去4年間、S&Tは、規則正しく7週間の間隔で発行されている。

同時に、付録ゲームでも新しい試みをしている。150号(Zama and Operation Felix)、236号と242号(They Died with Their Boots On)、235号(Cold War Battles)は、ミニゲーム2つを付録にした。200号記念版ではフランス外人部隊のゲームを二倍の大きさのマップでゲーム化、その後の読者の反響によって、一年に一回、ダブルサイズのマップのゲームをS&T誌の付録にすることになった。(次回は「Drive on Moscow」)
212号からは、より簡易なルールという要望に対し、ルールブックを16ページ以下とし、220号では5/8インチサイズの大きめのユニットを作った。
まもなく来るS&T創刊40周年に向けて、Decision Games社は、さらに興味深い雑誌に変貌するだろう。

次号予告

特集記事は、真珠湾攻撃の原型となった1940年タラント空襲、Isandlwanaの最後の抵抗、1071年Manzikert。

予定ゲーム

#240 1066: バイキングのイギリス侵略をマルチゲームで戦略的視点から
#241 Twilight of the Ottomans: 第一次大戦前後の中東。
#242 They Died with Their boots On 2: パーシング将軍とパンチョビラ
#243 Manla '45: 太平洋のスターリングラード。日本軍がフィリピンの首都で最後の抵抗戦。
#244 Drive on Moscow: 特別大型付録。ドイツ中央軍団が南でなくモスクワを目指す。
#245 War of the Triple Alliance : アメリカ大陸でのもっとも血なまぐさい戦争のひとつ、1865〜69年のパラグアイ戦争。