アメリカ独立戦争以来の、脱イギリス植民地宣言
ジンバブエ人のナショナリストによるローデシア政府に対する内戦は、多数派黒人と少数派白人との争いだった。当時、白人は政治権力、資源、土地の大部分を支配していた。ローデシア内戦は冷戦の中でもっとも長期化した戦争のひとつであり、共産主義国と西側諸国の対立を直接的に連想させない紛争だった。
ローデシアは1890年代にイギリス人セシル・ローズ(Cecil Rhodes)が開拓した国で、1920年に自治植民地となり、二度の世界大戦を通じてイギリスを支援した。1953年、ローデシア・ニヤサランド連邦(Federation of Rhodesia and Nyasaland)が形成され、これは現在のザンビア、ジンバブエ、マラウイに当たる。
第二次大戦後の、アフリカにおけるナショナリズムの高揚に伴い、イギリス政府はすべての時刻植民地において、非植民地化を推進することに賛成していた。ローデシアの白人は、非植民地化を混乱の元凶と考えていた。
たくさんの議論と反論の後、ローデシア戦線党(Rhodesian Front Party、白人の保守党)の党首イアン・スミスは1965年11月11日、一方的独立宣言(UDI)を発布、Salisburyを首都として独自の道を歩みはじめた。
UDI
UDIは、アメリカ独立戦争以来の、表立った脱イギリス植民地宣言だった。1960年代の、ヨーロッパ帝国主義への反動を背景に、ローデシアは法外の国家となった。初期の頃、イギリスによる軍事介入が懸念されたが、イギリス政府は経済制裁のみを課し、国連もそれにならった。唯一、南アフリカ共和国のみがローデシア政府を支援したが、これはローデシアがアフリカ・ナショナリズムに対する緩衝地帯となるからであり、その支援も南アフリカ共和国の利益によって左右された。
ローデシアの独立の成功の鍵は、7,000名の白人農夫、270,000名の準自治都市の白人と東洋人、そして外国からのボランティア兵にかかっていた。
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