Marlborough &
the War of Spanish Succession
#238 September 2006


マールバラ公の戦争術

初代マールバラ公 ジョン・チャーチルは、およそ考えられるすべての種類の戦いをした軍人である。
1704年7月2日、Schellenbergで彼の軍隊は重度に要塞化された丘を攻撃し、占領した。ブレンハイムの戦い(1704年8月13日)では、周到に準備された攻撃で勝利した。Ramillies (1706年5月23日)では陣地の中央に位置しながら、敵の弱点に転戦した。アウデナールデの戦い (1708年7月11日) において、マールバラ公は防御戦から攻勢に転向した。1709年7月11日のマルプラーケの戦いでは、フランス軍に正面から果敢な戦いを挑み、大損害を被りながらも勝利した。

これらの戦いは、表面的には異なって見えても、マールバラ公の勝利への公式は同じだった。マールバラ公は、戦術的イニシアチブを得るや、敵陣の翼端に継続的な攻撃を仕掛けて相手の注意をそらし、敵軍の歩兵予備部隊を戦線の中央から翼端に動かした。翼端への攻撃は、損害が大きくなっても継続された。ひとたび敵の予備部隊が交戦すると、マールバラ公は敵中央に決定的な攻撃を行った。敵陣を貫通するに際し、マールバラ公は、騎兵部隊を敵後方に送り、敵前面により多くの歩兵を投入して、敵陣に穴を開けたのである。この最後の機動によって敵の位置は二つに分断され、マールバラ公の、その日の勝利となるのであった。


The Chimurenga War: ローデシア内戦 1966-1980

アメリカ独立戦争以来の、脱イギリス植民地宣言
ジンバブエ人のナショナリストによるローデシア政府に対する内戦は、多数派黒人と少数派白人との争いだった。当時、白人は政治権力、資源、土地の大部分を支配していた。ローデシア内戦は冷戦の中でもっとも長期化した戦争のひとつであり、共産主義国と西側諸国の対立を直接的に連想させない紛争だった。

ローデシアは1890年代にイギリス人セシル・ローズ(Cecil Rhodes)が開拓した国で、1920年に自治植民地となり、二度の世界大戦を通じてイギリスを支援した。1953年、ローデシア・ニヤサランド連邦(Federation of Rhodesia and Nyasaland)が形成され、これは現在のザンビア、ジンバブエ、マラウイに当たる。
第二次大戦後の、アフリカにおけるナショナリズムの高揚に伴い、イギリス政府はすべての時刻植民地において、非植民地化を推進することに賛成していた。ローデシアの白人は、非植民地化を混乱の元凶と考えていた。
たくさんの議論と反論の後、ローデシア戦線党(Rhodesian Front Party、白人の保守党)の党首イアン・スミスは1965年11月11日、一方的独立宣言(UDI)を発布、Salisburyを首都として独自の道を歩みはじめた。

UDI
UDIは、アメリカ独立戦争以来の、表立った脱イギリス植民地宣言だった。1960年代の、ヨーロッパ帝国主義への反動を背景に、ローデシアは法外の国家となった。初期の頃、イギリスによる軍事介入が懸念されたが、イギリス政府は経済制裁のみを課し、国連もそれにならった。唯一、南アフリカ共和国のみがローデシア政府を支援したが、これはローデシアがアフリカ・ナショナリズムに対する緩衝地帯となるからであり、その支援も南アフリカ共和国の利益によって左右された。
ローデシアの独立の成功の鍵は、7,000名の白人農夫、270,000名の準自治都市の白人と東洋人、そして外国からのボランティア兵にかかっていた。

戦術ファイル: ブレンハイムの戦い

英蘭連合軍を率るマールバラ公のの大勝利に終わったブレンハイムの戦いを、詳細な図面と部隊表、時系列の事実で解説。

付録ゲーム: War of the Spanish Succession, 1701-14

18世紀はじめにスペイン王位の継承者を巡って、フランス・ブルボン家とオーストリア・イギリス・オランダの大同盟が戦ったスペイン継承戦争をヨーロッパのフルマップでゲーム化。Joseph Mirandaがデザイン。

南北戦争の潜水艦作戦

1864年2月17日午前8時45分、 スループ型砲艦USS Housatonic号の見張り員は、右舷に見慣れない浮遊物を発見した。
報告を受けた士官は直ちに臨戦態勢を敷き、この物体に砲撃を行った。これが約270メートル離れた、南部連邦の潜水艦CSS Hunley号との交戦のはじまりだった。

二つのハッチのついたデッキをほんのわずか海上に見せたHunley号は、その大部分を海中に隠しており、4ノットの全速力で近づいた二分後、Housatonic号に「魚雷」を突き刺し、離脱した。
爆発した魚雷はHousatonic号の船体に4.5メートルの穴を開け、Hunley号は史上初の艦船を撃沈した潜水艦となった。そして、その後第一次大戦まで潜水艦によって沈められた艦船はなかった。


CSS Hunley

Hunley号は撃沈の信号を味方に送りながらしばらく航行し、やがてすべての乗組員とともに海底に沈んだ。残骸は2001年に引き上げられたが、沈没の原因は今日でも不明である。いずれにせよ、Hunley号は、南北戦争に登場した最初の潜水艦でなく、また唯一の潜水艦でもない。
北軍は少なくとも潜水艇USS Alligator号を一隻製造しており、南軍はHunley号よりも前に三隻以上建造している。南北戦争は、潜水艦が投入された人類初の戦争だった。


内部構造

過去のS&T

50号前#188
Army Group South

SPIが平穏だった時代の、キエフとロストフのシナリオの再掲載と、Joseph Mirandaの東部戦線の分析レポート。Arnold Blumbergによる1944年の南フランス上陸作戦Anvil/Dragoon、Britain Trainの中国内戦、Michael Holmesの20世紀のドイツ国防計画など。

150号前#138
Eylau

ナポレオンがはじめて苦戦を強いられたロシア・冬の戦争「アイラウの戦い」をKen Broadhurstがデザイン、Raymond Bellがその戦いのレポート。Stephen B. Patrickがビザンチン帝国の裏切りと文明の千年の歴史。

150号前#88
British Army of the Rhine

Chuck Kampsによる第三次大戦のイギリス軍セクターを描いたBAORは、S&TのNATOシリーズの中でも白眉のゲームである。その他、常連のAl Nofiによる百年戦争の記事など。

200号前#38
CA.

CAとは重巡の略であり、Dave Isbyによる同ゲームは太平洋戦争における戦術級のゲームであり、Panzerblitzの公海版といえる。Al Nofiのゲティスバーグ戦役など。

 

S&T 予告

S&T#235の付録ゲームは、Winged Horse: The Vietnam War, 1965 - 66。第二次インドシナ戦争の最初の20週間の米国の大規模介入を描くゲーム。米軍第一騎兵師団の投入、Ia Drang、Shau Valleyの戦いを大きな視点で。
特集記事は、第二次ポエニ戦争中(紀元前202年)のカルタゴ南西のザマにおけるハンニバルの最後の抵抗、真珠湾攻撃の原型となった1940年タラント空襲、1981年のイスラエル空軍のイラク核施設への攻撃。


予定ゲーム

#239 Operation Winged Horse: 1965-66年のベトナム戦争キャンペーン
#240 1066: バイキングのイギリス侵略をマルチゲームで戦略的視点から
#241 Twilight of the Ottomans: 第一次大戦前後の中東。
#242 They Died with Their boots On 2: パーシング将軍とパンチョビラ
#243 Manla '45: 太平洋のスターリングラード。日本軍がフィリピンの首都で最後の抵抗戦。
#244 Drive on Moscow: ドイツ中央軍団が南でなくモスクワを目指す。ゲームマップが二倍?