ヒトラーは地球規模の戦略プランは持っていなかった。
彼の戦略は、地政学者カール・ハウスホッファを承継するもので、経済封鎖に対して不滅の帝国を、東ヨーロッパから南ロシアにかけて作ることだった。新帝国は、その規模からヨーロッパを支配するものであり、同じ発想からイタリアは地中海、アフリカ、中東を、日本はアジア全域を支配しようとした。理論上、残りの地域の国々は、これら枢軸国を協賛する立場になる。
ヒトラーは他の枢軸国やアメリカとの衝突を予想していたが、それが起きるのは次のドイツの世代になってからであり、十分な時間があるはずだった。
新ドイツ帝国建設の前に立ちはだかったのはソビエト連邦だった。ヒトラーは常にソビエトとの対決を考えていたが、イギリスと戦争する予定はなかった。彼は大英帝国の覇権を羨望のまなざしで見ており、1939年9月にロンドンから受けた宣戦布告は好ましいものではなかった。
二方面展開を避けるため、ソビエトを攻撃する前にフランスを叩くことは軍事戦略上不可欠だった。1940年のフランスに対する電撃的な勝利は、第一次大戦の借りを返すものでドイツ国民から賞賛され、ヒトラーは絶頂期にあった。
現在から見れば興味深い事実だが、ドイツ軍のヨーロッパ各国進攻は、短期的な戦術的計算によって行なわれたのである。
(以下略) |