1942年2月15日のシンガポール陥落は枢軸軍側にとって最大の勝利のひとつであっただけでなく、イギリス軍史においての最大の降伏でもあった。
実際のところ、シンガポール陥落は、第二次大戦においてだけでなく、植民地国に対する西欧諸国の優位という神話が崩壊したという点で、世界史におけるターニングポイントでもあった。
1930年代、ロンドンは既に太平洋周辺における日本軍の攻勢を予想していたが、状況はイギリスにとって有利と考えられていた。インドシナを植民地化していた同盟国フランス、西太平洋を制圧していたオランダとアメリカによって、地勢的にシンガポールは守られていた。そして、シンガポールの背後には、インドに駐留するイギリス軍が存在し、有事の場合、イギリス海軍はペルシャ湾ないしスエズ運河から急行することができると考えられていた。
1939年、ヨーロッパで始まった第二次大戦が東南アジアの政治状況を大きく変えた。ドイツ軍があっというまにポーランド、デンマーク、ノルウエー、オランダ、ベルギー、フランスを占領したため、インドシナ、スマトラは宗主国によるコントロールを失った。イギリス海軍は、大西洋と地中海でドイツ・イタリア海軍との海戦に釘付けとなり、スエズ運河が通行不能になると、イギリス海軍はインド洋に出るためには南アフリカを迂回しなければならなくなった。
1940年、ビシー政権のフランス領インドシナに日本軍が進駐すると、シンガポールは、日本の脅威に直接脅かされることになった。
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