Holy Roman Empire:
改革の時代の戦争
#247 December 2007

イタリア戦争 1494-1529

中央集権体制を確立したフランスとスペインは、15世紀の終わり頃から周辺地域への侵略に乗り出した。1494年からはじまったイタリア戦争は、フランス王シャルル8世がイタリアに侵攻したことに端を発する。

当時のイタリア半島は無数の小国が対立し、中央部分はローマ教皇領になっていた。イタリア人は侵入してきたフランス軍に畏敬の念すら抱いた。やってきたフランス軍は1440代の軍事改革で創設された最新装備の軍隊であり、ヨーロッパではローマ帝国以来はじめての常設軍だったからである。

ナポリ王国を難なく占領したシャルル8世は、イタリア貴族とフランス貴族達の婚姻を理由にナポリとミラノの領有を主張した。シャルル8世は予想していなかったが、これがフランスとスペインの数次にわたる戦争の引き金となり、それはハプスブルグ家の長であり神聖ローマ帝国皇帝であるカール5世も加わる戦いに拡大した。

(同号特集記事「イタリア戦争における七つの主要な戦い」では、Seminara、Fornova、Cerignola、Garigliano、Ravenna、Novara、Marignanoにおける戦いを解説している。)

フランス陥落の原因を探る

(この記事はS&T#245の続編です)
1940年6月21日、ドイツ機甲部隊がパリに侵入するとフランスは降伏した。フランスの敗北は終わりのない議論を生んでいるが、原因はリーダーシップ、トレーニング、コミュニケーション、エアパワーの欠陥ないし欠如に要約できる。

リーダーシップ
1940年当時、双方のリーダーシップの質に大きな違いがあったことは疑いの余地がない。それは個々の兵士のトレーニングおよび双方の軍事ドクトリンに影響した。
フランス軍が採用した"bataille conduite"ドクトリンは中央の指揮統制を強調したものであり、上級司令官は前線から離れた場所に位置した。理論的には司令官は後方の司令部から、より有効な統御を行えるはずだった。フランスがこのような指揮系統を採用した理由は、兵士の大半が予備役だったからだった。彼らは独立した作戦を行うだけの教練を受けていなかった。しかしこの指揮組織は、予見できない状況や流動的な戦場には不向きであった。

ドイツ軍将校は"Auftragstaktik" - 任務単位の戦術 - で思考するよう教えられていた。上級司令部は全体的な方針を与え、将校とNCO(下級指揮官)が方針を遂行するためのイニチアチブを持った。命令で示されるのは最終的に達成する状態であり、とりうるべき戦術ではなかった。

フランス軍のドクトリンは敵側に対する継続的な攻勢と新規の敵側防衛ラインの阻止を前提としており、すべてはスケジュール通りにおきなければならなかった。
それに対しドイツ軍歩兵は戦闘中の計画変更に対応でき、最終目標を達成するためのイニシアチブを持つことができた。それゆえ、前線から指揮が行われた。

ドイツ軍のリーダーシップには二つの主要な欠点があった。ひとつは、将校とNCOが前線で指揮をとったため、指揮官の損耗の危険が大きかったこと。グーデリアンはセダンの戦闘で受けた砲撃で死にかかった。第一装甲師団装甲旅団の司令官は味方の空爆で死亡している。ロンメルがディナンの攻勢を指揮した時、彼の乗った三号戦車は対戦車砲の被弾を受けた。
一方、セダンのムーズ戦線におけるフランス軍大隊および連隊司令官の死亡者はゼロだった。彼らは前線のはるか後方で指揮していたからである。
第二の欠点は、採るべき戦術について、二人の指揮官に不一致が発生する可能性である。グーデリアンは一時的だが更迭され、司令官が命令に従わない場合もあった。皮肉なことに、ヒトラーが後にマイクロ・マネイジメントを行うようになると、フランス戦線のような電撃作戦の成功はみられなくなった。

長槍から射撃へ 1500年代の軍事ルネッサンス

16世紀にはいると、歩兵の支援兵器であるパイク(長槍)はすたれるようになった。長い木の棒の先に銛状の金属がついた長槍は、重騎兵の突撃を防ぐために作られたが攻撃兵器としても使用されていた。
黒色火薬の発達と武器の小型化により火縄銃が導入され、後にそれはマスケット銃に進化した。
火縄銃で武装した歩兵をはじめて大量に使用したのはスペイン人だったが、オランダ、フランス、神聖ローマ帝国がすぐにこれを模倣した。

いずれの軍隊も、パイクと火縄銃をいかに統合するかに工夫を凝らした。1494年からはじまったイタリア戦争は、新戦術を開拓するテスト戦場だった。

2004年4月 Fallujahの戦闘

アメリカ主導のイラク侵攻(2003年)において、Fallujahは戦禍をまぬがれた。
Iraqi Freedom作戦後発生した権力の空白によって、イラク国内の多くの秩序は失われたが、スンニ派の「モスクの街」であるファルージャでは比較的治安が保たれていた。地域のリーダーと宗教指導者達によって作られた市民統治委員会と武装自衛団が収奪行為を抑え、秩序に似たものを地域にもたらした。

アメリカ軍は段階的にFallujahに入ってきたが、ほとんどの市民はこれを歓迎しなかった。市民は外部の人間に対して閉鎖的であり、特に「占領軍」に対して不信だった。
米軍I MEF(I Marine Expeditionary Force)は、Fallujahを含むイラク西部および中央部に米軍を配置したが、これらの部隊は、イスラム過激派、反米指導者、旧バース党員を引きつける磁石になった。米陸軍の支援を行うアメリカ海兵隊は、組織的な抵抗戦に遭遇した。

4月、護衛任務中のアメリカ人PMC(Private Military Company)が待ち伏せにあい殺害された。これは偽情報によって誘導されたものだった。彼らの死体がニュースメディアに流れると、アメリカ最高指導は迅速な対応を迫られた。

アメリカ統合参謀指令(JTF)のLt, Gen. SanchezはFallujahへの軍事的報復を勧めた。それに対しMEFは、秘密部隊6-26による市内への浸透作戦およびCIAから提供されたリストによる容疑者逮捕を提案したが、先例を作りたいJTFは市民への損害を問題視しなかった。ホワイトハウスがJTFの作戦を承認すると、4月4日、Vigilant Resolve作戦が始まったのだった。

付録ゲーム「Holy Roman Empire」

中程度の難易度を持つこのゲームは4人プレイヤー用であり、ドイツ農民戦争からニースの和約までのヨーロッパが近代性を形成するまでの時代を描く。
各プレイヤーはハプスブルグ家、フランス、オスマン帝国、諸国同盟(その他の勢力を表す)をそれぞれ受け持ち、戦争や外交を行う。ユニットにはスイス傭兵やトレシオが含まれる。Joseph Mirandaがデザイナー。

過去のS&T
50号前#197
Great Medieval Battle

BannockburnとAngoraの戦いのリプリント更新版をD. Wreden、A.Buccini、R.Vickersが政策。ゲームデザイナーJack Radeyが1944年のKorsun Pocketの新解釈、メキシコ革命におけるアメリカの干渉をPhil Ekland、コロンビアの終わりなき内戦をGary Valenza、インド・パキスタンの核軍拡競争をM.Weiserbrought。

100号前#147
Holy War Afganistan

ソビエト陸軍とアフガニスタンゲリラの十年にわたる戦争をJoseph Mirandaがゲーム化。Geoffrey Bohrerが低積紛争(LIC)を鎮圧する"fire grigade"の記事、Seteve Frattが南北戦争の新解釈。

150号前#97
Trail of the Fox

S&T#87「Desert Fox」の続編にあたるゲームをRichard Berg、Doug Nilesがデザイン。北アフリカのチュニジアを扱うこのゲームはDesert Foxと同じスケールでマップを連結することができる。James Meldrumが1980年代のウォーゲームにおける小規模ユニットの戦術、Solders of the Queenのシナリオ、Ian Chadwickがコンピュータの記事。
200号前#47
Wolfpack

ドイツ側プレイヤーは、連合軍の通商にダメージを与えるために単艦もしくは"Wolfpack"で潜水艦攻撃を行う。連合軍には様々な対潜水艦戦のユニットが与えられ、ドイツ側は時間との競争を強いられる。James DunniganとFrank Davisがゲームデザイン、Redmond Simonsenがグラフィックデザイン。Stephen B.Patrickがワルシャワ条約軍とNATOの激突の記事、Richard MatakaがS&Tの記事のインデックス。

予告 S&T#248付録ゲーム 「First Blood: Second Marine」

「First Blood: Second Marine(FBSM)」は、第一次大戦最後の一日(1918年6月15日)を扱った戦術級。マップはドイツ軍が局地的に有利だった地域を扱い、Marine川を越えてアメリカ軍陣地を攻撃する。
ユニットは分隊規模で、重機関銃は固定ユニットとして提供される。スケールは1へクス100ヤード、1ターン数十分、第1ターンのみ早朝の視界の悪さを反映して2時間を表す。
FBSMにはターン記録マーカーがない。いずれかのプレイヤーが負けを認めた時ゲーム終了となり、ルールの難易度は「低」、プレイ時間は約2時間だという。