1970年代半ば、植民地状態から脱したアフリカ大陸では、内戦の中からいくつかの新生国家が誕生、新しい政府は従来ヨーロッパ諸国が掌握してきた権力を承継した。現地武装勢力はヨーロッパ各国の残存部隊を攻撃し、西側もまたこれに反撃した。
いくつかの新興勢力は共産主義を(すくなくとも看板の上では)表明し、その結果、アフリカ大陸は「熱い」冷戦の戦場となった。ソビエトが軍事顧問団と武器を提供し、キューバのカストロは兵士を送り、共産圏の拡大を狙った。
一方、西側諸国による政治・武力介入は期待できなかった。アメリカは1975年のインドシナの同盟国の崩壊で戦意を失っていたからである。当時の世論調査によれば、アメリカ人の80%は新規の海外戦争に合衆国が参加することに反対しており、フォードおよびカーター大統領は、共産主義者が中央および南アフリカで影響力を拡大している事実に対し、表立った対策を打つことはできなかった。
1975年の終わりまでに、モザンビーク、ギニア、マダガスカル、コンゴ、ソマリア、エチオピア、タンザニアはワルシャワ同盟軍と同盟を結び、地方部が無政府状態にになったアンゴラの政情は不安定になった。
冷戦下における次の東西対決があるとすれば、それはアンゴラだった。
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