アメリカ合衆国の形成
コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年から合衆国統計局が西部開拓時代の終わりを表明した1890年までの数世紀の間、イギリス人、スペイン人、フランス人、インディアン部族、そしてアメリカ人は相互に同盟し、あるいは戦争した。アメリカ合衆国は、その争いの過程で形成されたのである。
この歴史から想起する疑問は、当初優位に立っていたインディアンがなぜ敗北したか、である。
インディアンの優位
1787年にアメリカが統一国家として誕生した時でさえ、事実上の合衆国の国土は大西洋側の湾岸部のみであり、アパラチア山脈から西は強力なインディアンが支配していた。そしてインディアンの勇猛果敢さは、最初のイギリス人移住者がこの「新世界」に上陸した時から有名だった。
インディアンには戦士の文化があり、各支配地域において軍事行動を行うに十分な能力を有していた。その水準は、ヨーロッパ人が非正規戦と軽歩兵戦の戦術をインデアンから学ぶレベルであった。さらに、白人が遭遇した他の大陸の原住民と異なり、アメリカ・インディアンは火器の使用方法を直ちに習熟できた。
アメリカ大陸に入植したヨーロッパ人は、当初、インディアンと条約を結び、開拓をはじめるに際しては土地を買いとっていた。寡少な西欧人は先住民と友好関係を保つ必要があった。
結束の欠如
インディアンが持っていた本質的な問題は、結束の欠如にあった。
16世紀、アステカ帝国が滅亡したのは、スペイン人エルナン・コルテスがメキシコ・インディアン間の分裂を利用したからだった。
同様に、北米大陸において、イギリス人、そしてその後アメリカ人が西に国土を広げるにつれ、白人は、たくさんのインディアン種族と出会ったが、先住民族の政治的結束は弱かった。白人はインディアンの抵抗や襲撃に遭遇する一方で、特定の部族を味方にしながら、他方のインディアンを排除した。フレンチ・インディイン戦争でインディアンの多数はフランスと同盟し、米英戦争でテカムセはイギリスと同盟して合衆国を攻撃した。スー、シャイアン、ダコタ族が結集して政府軍を全滅させたビッグホーンの戦いにおいてさえ、クロウ族はカスター側で偵察任務についていた。
インディアン部族が連合することはほとんどなかったが、連合した時はしばしばヨーロッパの近代軍を打ち負かした。しかも、皮肉なことに、アメリカ・インディアンは歴史の最後まで戦術的優位を維持していた。パワー川の戦い、ローズバットの戦い、そしてもちろんビックホーンの戦いなど、1876年の会戦の多くはインディアンが勝利している。
卓越したリーダーシップを発揮したテクムゼは、インディアン最高の英雄のひとりと言われる。
|
戦略の欠如
政治的結束を欠く集団が長期的戦略を持つことはありえない。民族を統一する戦略を持たないがゆえ、インディアンが局地的な勝利を得ることはあっても長期的勝利を得ることはなく、4世紀にわたって白人と戦いながら、アメリカ・インディアンの個々の軍事作戦に大きな変化はなかった。
たとえば、1790〜91年のオハイオ渓谷の戦いでインディアンはアメリカ軍の二個部隊に勝利しているが、1794年、アンソニー・ウェイン将軍によってフォールン・ティンバーズの戦いで敗北している。1811年のテクムセによる北西インディアンの組織化はアメリカ合衆国にとっての深刻な脅威となったが、インディアナ準州知事ウィリアム・ハリソンのティペカヌウの攻撃によって殲滅された。同様に、セミノール・インディアンの抵抗戦はフロリダ限定のゲリラ戦にしかならなかった。
観念の相違
インディアンの戦争の目的は、緩やかな既成秩序の中で自身の部族を維持するためであり、あるいは個々の男子の勇猛の証明のためであっても、帝国の建設や征服のため
ではなかった。 ハリウッド映画に出てくる幌馬車を襲うインディアンのイメージは誤りである。通常、インディアンは白人が自領を通過する場合は無視し、その白人の処遇は行き先のインディアンに任せていた。
人的・物資的インフラ
近代軍を維持するインフラに支えられたヨーロッパ、アメリカの政府軍には継続的な武器、食料、そして人的補給があった。インディアンは冬季にその軍事行動が不活発になるのが普通だったが、こ
れは馬に与える秣が不足したからである。白人の優れた軍人は、冬まで戦いを引っ張って軍事的優位を得ることを得意とした。
鉄道と電信もまた、白人側を優位に立たせた要因である。1876年の戦いは鉄道や電信の届かない地域で行われたため、インディアンが勝利することができた。テリー少将の苦労は、通信が途絶えた部隊を組織化することだった。
|