Custer's Last Stand
クレイジーホース大暴れ
#236 May 2006


リトルビックホーンの戦い : クレージー・ホース大暴れ <my commnet>

アメリカ合衆国の形成
コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年から合衆国統計局が西部開拓時代の終わりを表明した1890年までの数世紀の間、イギリス人、スペイン人、フランス人、インディアン部族、そしてアメリカ人は相互に同盟し、あるいは戦争した。アメリカ合衆国は、その争いの過程で形成されたのである。
この歴史から想起する疑問は、当初優位に立っていたインディアンがなぜ敗北したか、である。

インディアンの優位
1787年にアメリカが統一国家として誕生した時でさえ、事実上の合衆国の国土は大西洋側の湾岸部のみであり、アパラチア山脈から西は強力なインディアンが支配していた。そしてインディアンの勇猛果敢さは、最初のイギリス人移住者がこの「新世界」に上陸した時から有名だった。
インディアンには戦士の文化があり、各支配地域において軍事行動を行うに十分な能力を有していた。その水準は、ヨーロッパ人が非正規戦と軽歩兵戦の戦術をインデアンから学ぶレベルであった。さらに、白人が遭遇した他の大陸の原住民と異なり、アメリカ・インディアンは火器の使用方法を直ちに習熟できた。
アメリカ大陸に入植したヨーロッパ人は、当初、インディアンと条約を結び、開拓をはじめるに際しては土地を買いとっていた。寡少な西欧人は先住民と友好関係を保つ必要があった。

結束の欠如
インディアンが持っていた本質的な問題は、結束の欠如にあった。
16世紀、アステカ帝国が滅亡したのは、スペイン人エルナン・コルテスがメキシコ・インディアン間の分裂を利用したからだった。
同様に、北米大陸において、イギリス人、そしてその後アメリカ人が西に国土を広げるにつれ、白人は、たくさんのインディアン種族と出会ったが、先住民族の政治的結束は弱かった。白人はインディアンの抵抗や襲撃に遭遇する一方で、特定の部族を味方にしながら、他方のインディアンを排除した。フレンチ・インディイン戦争でインディアンの多数はフランスと同盟し、米英戦争でテカムセはイギリスと同盟して合衆国を攻撃した。スー、シャイアン、ダコタ族が結集して政府軍を全滅させたビッグホーンの戦いにおいてさえ、クロウ族はカスター側で偵察任務についていた。
インディアン部族が連合することはほとんどなかったが、連合した時はしばしばヨーロッパの近代軍を打ち負かした。しかも、皮肉なことに、アメリカ・インディアンは歴史の最後まで戦術的優位を維持していた。パワー川の戦い、ローズバットの戦い、そしてもちろんビックホーンの戦いなど、1876年の会戦の多くはインディアンが勝利している。


卓越したリーダーシップを発揮したテクムゼは、インディアン最高の英雄のひとりと言われる。

戦略の欠如
政治的結束を欠く集団が長期的戦略を持つことはありえない。民族を統一する戦略を持たないがゆえ、インディアンが局地的な勝利を得ることはあっても長期的勝利を得ることはなく、4世紀にわたって白人と戦いながら、アメリカ・インディアンの個々の軍事作戦に大きな変化はなかった。
たとえば、1790〜91年のオハイオ渓谷の戦いでインディアンはアメリカ軍の二個部隊に勝利しているが、1794年、アンソニー・ウェイン将軍によってフォールン・ティンバーズの戦いで敗北している。1811年のテクムセによる北西インディアンの組織化はアメリカ合衆国にとっての深刻な脅威となったが、インディアナ準州知事ウィリアム・ハリソンのティペカヌウの攻撃によって殲滅された。同様に、セミノール・インディアンの抵抗戦はフロリダ限定のゲリラ戦にしかならなかった。

観念の相違
インディアンの戦争の目的は、緩やかな既成秩序の中で自身の部族を維持するためであり、あるいは個々の男子の勇猛の証明のためであっても、帝国の建設や征服のため ではなかった。 ハリウッド映画に出てくる幌馬車を襲うインディアンのイメージは誤りである。通常、インディアンは白人が自領を通過する場合は無視し、その白人の処遇は行き先のインディアンに任せていた。

人的・物資的インフラ
近代軍を維持するインフラに支えられたヨーロッパ、アメリカの政府軍には継続的な武器、食料、そして人的補給があった。インディアンは冬季にその軍事行動が不活発になるのが普通だったが、こ れは馬に与える秣が不足したからである。白人の優れた軍人は、冬まで戦いを引っ張って軍事的優位を得ることを得意とした。
鉄道と電信もまた、白人側を優位に立たせた要因である。1876年の戦いは鉄道や電信の届かない地域で行われたため、インディアンが勝利することができた。テリー少将の苦労は、通信が途絶えた部隊を組織化することだった。

 

付録ゲーム・リトル・ビッグ・ホーンの戦い

<my commnet>金鉱を求めた白人達がスー族の聖なる山、ブラック・ ヒルズに殺到したのが事の始まり。1876年のキャンペーンでクレイジーホースはナポレオンも感嘆するような機動 戦を行い、リトル・ビッグ・ホーンにおいて、カスター将軍を含むアメリカ軍264名を全滅させた。

この戦いを16ページのルールと80のユニットでゲーム化。

アメリカ軍のカナダ侵攻、1775年

独立戦争が始まる前、イギリス軍が守るケベックにアメリカ軍が侵攻するとは誰も考えなかった。しかし1775年、アメリカ軍はモントリオールとケベックへ2つのルートから侵攻、一時的にせよ勝利を収めたのである。

もうひとつの付録ゲームではこの戦 いをリトルビックホーンの戦いと共通のルールでゲーム化。

彼らは上陸したか?アメリカ海兵隊のヨーロッパ戦線 1941 - 1944

第二次大戦は、軍事歴史上最大かつシステマティックな上陸作戦が行われた戦争である。ノルマンジー上陸、太平洋の飛び石作戦、マッカーサーのフィリピン上陸などが有名だが、他にも北アフリカ (Torch作戦)、シシリー (Husky作戦)、イタリア (Shingle作戦、Avalanche作戦) などがある。
一般的には、太平洋戦線 (PTO) はアメリカ海兵隊、ヨーロッパ戦線 (ETO) は陸軍が戦ったイメージが強いが、仔細に見るならETOにも海兵隊は派遣されていたのである。

朝鮮戦争の阻止空爆・限界線の戦い

1950年6月25日、北朝鮮軍(NKPA)の135,000名の兵士と300台のT-34は突如38度線を越えて南朝鮮半島に侵攻した。それに対する韓国軍(ROKA)はわずか65,000名であり、不意を突かれたアメリカ第24師団の抵抗戦と撤退は有名だが、空ではまったく違う戦いが行われていた。

9月上旬、釜山周辺を除く半島全土がNKPAの支配下に置かれるころ、国連軍を指揮下に持ったダグラスマッカーサーには反攻の用意ができていた。釜山がダンケルクにならなかったのは、地上軍の熾烈な抵抗戦のみならず、アメリカ空軍の阻止空爆によるところが大きかった。

戦略的背景
冷戦下の朝鮮半島において、アメリカ空軍が、かつて日本やドイツの時にできた自由な空爆撃をすることは不可能だった。アメリカ空軍の戦略プランナー達が、次の戦争は米ソの核を使った全面攻撃になると予想していたため、その軍事ドクトリンは戦略爆撃に主眼を置き、ソビエトの都市、工業、軍事目標に核の雨を降らすことを目的としていた。

ところが予想に反し、アメリカが直面した今回の戦争は、目標となる都市や工業地域がその国土にほとんど存在しない、農業国で発展途上国の北朝鮮に対するものであった。NKPAの武器は中国とソビエトから供給されており、アメリカはこれらの国を爆撃できなかった。
アメリカ空軍は、朝鮮半島の限定的紛争に対し、全面戦争による戦略爆撃とは異なる軍事ドクトリンを開発しなければならなかった。


過去のS&T

50号前#186
Mons & Marne

Joe Mirandaが1914年の西部戦線をゲーム化。Perry MooreとJ. Bergerが第二次大戦における日本のハワイ占領計画、1848年のヨーロッパ革命をBrian Train、イギリス歩兵大隊の進化をMichael Cunningham。

150号前#136
Borodino

ボロジノにおけるナポレオンの災厄の勝利をGary Morgan。Austin BayがNATO軍のCentral Frontのアップデート。Seth Owenが1975〜1990年のウォーゲーム。

150号前#86
Ceder Mountain

Jeffey Hummel、David Bush、Jim Simon、Anthony Willimans、Redmond SimonsenがTerrible Swift SwardシステムでCeder Mountainのゲーム。Al Nofiがアラモ砦の最後の抵抗、Brad Hasselの軍事トリビア。

200号前#36
Destruction of Army Group Center

Al Nofi、Jim Dunnigan、John Young、Rob Champerが1944年の東部戦線におけるドイツ軍の壊走をゲーム化。Stephen B. Patrickがウォーゲーム雑誌ではじめてのワルシャワ条約軍の分析。新しいウォーゲームの幕開けとなる。

S&T 予告

S&T#237の付録ゲームは、アラビアのロレンスとアレンビー将軍の砂漠の戦いを描いたNo Prisoners!
特集記事は、スエズ運河からダマスカスまでの第一次大戦の中東戦線。イギリスとアラブ部族の連合軍がオスマン帝国と戦う。