1780年2月にサバンナ川河口に拠点を築いたイギリス軍は、サウスカロライナのチャールストンに包囲戦を布いた。アメリカ軍ベンジャミン・リンカーン少将はチャールストンを守ることを決め、チャールストンにいたジョン・ラトリッジは兵力の半分を率いてノースカロライナに逃れた。副知事クリストファー・ガズデンは、チャールストン防衛のために留まり、委員会はガズデンに「サウスカロライナの公共利益のために、捕虜を裁判なしで処刑する以外の何をしてもよい」権限を与えた。
5月12日、ベンジャミン・リンカーン率いるアメリカ軍は、イギリス軍ヘンリー・クリントン将軍に降伏した。このときアメリカ軍は3,650名の正規兵、3,034名の市民兵、1,000名の水兵、391門のカノン砲、8,000発の砲弾、5,916丁のマスケット銃、33,000発の銃弾、376バレルの火薬を持っていた。
ガズデンは文民政府の代表であり市とともに降伏した。ガズデンは保釈されチャールストンの家に送還された。ベンジャミン・リンカーンは、イギリス兵捕虜との交換のために保釈されたが、ガズデンら38名の重要人物はフロリダに送られ、ガズデン以外は市内に軟禁された。ガズデンはスペイン時代の要塞に収容されたのである。
クリントン将軍がニューヨークに帰還した後に南部戦線に任命されたイギリス軍司令官は、チャールズ・コーンウォリス将軍だった。 |