JULIAN: 4th Century Roman Victories
#266 Jan 2011

ユリアヌス: 4世紀のローマ帝国の勝利

ローマ帝国の対外政治力とローマ皇帝の権力を支えていた要素のひとつは、「戦争に勝っている」という評判だった。
戦争の勝利を広く喧伝することで、敵対国を畏怖させ従わせた。それはまた、皇帝の国内権力を強化することにも役立った。

今日のようなコミュニケーション手段はなかったものの、ローマ皇帝はさまざまな形での「情報戦」を行っていた。
凱旋門、彫像、装飾的な柱は、帝国の力を民衆に誇示するために作られたものである。主要な街道沿いのマイルストーン、コインに彫られた皇帝の顔、政治スローガンも権力強化のためのものだった。「ガリア戦記」は、公に読まれることを前提として書かれており、演劇が中断され戦況が読み上げられた4世紀の記録も残っている。これらの「勝利広報」は、本当に戦争に勝っているかどうかとは関係なかった。

皇帝や将軍が周辺国を凱旋しのは、蛮族にローマ帝国の力を見せるためだった。298年、マクシミアヌス皇帝は軍隊を率いて北アフリカを行軍した。これによって北アフリカはしばらくローマの治世下にあり、同時にマクシミアヌス皇帝の地位は強化された。

ペルシアを度々攻撃したのも、それが「皇帝はアレキサンダー大王と同等に偉大である」ために必要だったからだった。この時代、アレキサンダー大王の名は計り知れないほどの影響力があった。繁栄した都市や交通網を占領することは確かに利益になったが、それはライン川までであり、ドナウ以東の経済的メリットはほとんどなかった。

付録ゲーム「Julian」
「They Died With Their Boots On」のルールを引用した戦略級のこのゲームは、2プレイヤー用の対戦ゲームで、ローマ帝国と蛮族をそれぞれプレイする。
ローマ帝国プレイヤーの目的は帝国の権力強化と国境周辺の平定であり、蛮族プレイヤーの目的はそれを壊すことである。

 

キャムデンの戦いにおける戦術的教訓、1780年

1780年2月にサバンナ川河口に拠点を築いたイギリス軍は、サウスカロライナのチャールストンに包囲戦を布いた。アメリカ軍ベンジャミン・リンカーン少将はチャールストンを守ることを決め、チャールストンにいたジョン・ラトリッジは兵力の半分を率いてノースカロライナに逃れた。副知事クリストファー・ガズデンは、チャールストン防衛のために留まり、委員会はガズデンに「サウスカロライナの公共利益のために、捕虜を裁判なしで処刑する以外の何をしてもよい」権限を与えた。

5月12日、ベンジャミン・リンカーン率いるアメリカ軍は、イギリス軍ヘンリー・クリントン将軍に降伏した。このときアメリカ軍は3,650名の正規兵、3,034名の市民兵、1,000名の水兵、391門のカノン砲、8,000発の砲弾、5,916丁のマスケット銃、33,000発の銃弾、376バレルの火薬を持っていた。

ガズデンは文民政府の代表であり市とともに降伏した。ガズデンは保釈されチャールストンの家に送還された。ベンジャミン・リンカーンは、イギリス兵捕虜との交換のために保釈されたが、ガズデンら38名の重要人物はフロリダに送られ、ガズデン以外は市内に軟禁された。ガズデンはスペイン時代の要塞に収容されたのである。

クリントン将軍がニューヨークに帰還した後に南部戦線に任命されたイギリス軍司令官は、チャールズ・コーンウォリス将軍だった。

レーガンの対テロ戦争

冷戦時代のはじめから、中東は東西パワーの係争地帯だった。アメリカ合衆国のイスラエル支援は、ニクソン政権までなまぬるいものだったが、ソビエトはアラブ諸国と積極的な外交を行い、特にエジプトには数千もの戦車、戦闘機、対空ミサイル、そしてたくさんの軍事顧問を送っていた。エジプトがアメリカに接近しはじめたのは、1978年のキャンプデービット以降であり、エジプトへの20億ドルにのぼる軍事・経済援助と引き換えだった。

1979年にイランがイスラム革命によって反米政権になると、アメリカは中東唯一の同盟国を失った。アメリカはイラク・サダムフセイン政権を支援、イラン・イラク戦争中は軍事支援を行った。

サウジアラビア、クエート、オマーンはアメリカのあからさまな支援を渋々認めたが、サウジ・マネーはアフガニスタンの反ソビエト勢力に流れていた。

刊行予定

267: ロシア内戦 (特別号)
268: When Lions Sailed
269: フォークランド戦争
270: アメリカ独立戦争
271: 2nd Kharkov
272: Lepanto
273: Reichswehr & Freikorps
274: Sun Never Sets 2 (特別号)
275: Pacific War
276: Anaconda
277: Ticondaroga
278: Tobruk

ロシア内戦: SPIのリメイク。Joseph Miranda。
When Lions Sailed: 17世紀のヨーロッパの海上覇権。マップは地球のほとんどをカバーする。イギリス、オランダ、スペイン、フランスで対戦するマルチプレイヤーゲーム。
Lepanto: ガレー船による海戦。船の速度は櫓と帆、風向きと船の針路で変わる。砲撃、乗船攻撃、衝突。より多くの船舶が残っている方が勝ち。Robert J. Cowlingデザイン。
Reichswehr & Freikorps: ヴァイマル共和国国軍とドイツ義勇軍。
Sun Never Sets: 植民地時代の大英帝国の地域紛争。
Pacific War: 1879年にチリとボリビア・ペルー同盟で行われた戦争。陸上と海上の両方で勝利する必要があるという。Javier Romeroがデザイナー。
Anaconda: 2002年のアフガニスタン。アメリカ連合軍とアルカイダ・タリバンの戦い。アメリカ軍がより大規模な攻撃を行うには政治的コストを支払う。指揮系統、アフガン人の戦意、電子戦のルール。Joseph Mirandaがデザイナー。
Ticondaroga: 1755-58年におけるジョージ湖の戦い。ハドソン湖とシャンプレーン湖の戦略マップと、戦術マップから成るゲーム。William Nesterがデザイン。
Tobruk: 連隊、大隊規模の228枚のカウンター。チット活性化。デザイナー、Paul Youde。