1944年12月16日からはじまったバルジ作戦 (Wache am Rhein) は、地上戦についてのみ語られることが多い。悪天候が連合国空軍の出動を阻み、ドイツ地上軍の反攻を容易にした、というのが通説である。
しかし、作戦の初日から膨大な数の連合国空軍が出動しており、ほとんどの歴史家が空軍力が存在しなかったとする12月17日から22日の間でさえアルデンヌ地方に計5,000機が出動している(多くは米第9空軍によるものであった)。
一方、ドイツ軍も作戦の初日に計2,400機を出動させたが、これは1940年のフランス侵攻よりも多い数だった。
圧倒的に優勢な連合軍空軍に対抗するため、ドイツ空軍は悪天候が予想される日の前日に空襲を決行した。当時、連合国空軍はそれぞれの空襲の前日に目標を決めており、もしドイツ側の奇襲が成功したなら、翌日の連合国側空軍は、まったく見当違いの場所を攻撃すると予想された。
さらに、連合軍を欺瞞するため、ドイツ空軍の指揮官達はアメリカ第8空軍の爆撃機を空中で迎撃する戦闘システムを構築するよう指示されていた。飛行基地はアルデンヌでの地上支援に適した場所に作られず、飛行訓練も爆撃機相手の空中戦を想定したものが行われた。Wache
am Rheinのプランナーは、迎撃戦闘の技術は容易に地上支援の技術に転用できると考えていた。
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