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The
General Vol.26 No.6 P37 The Frigates Fight,the War of 1812 1812年の米英戦争 |
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SCENARIO FF-1 | |
ESSEX VS. MINERVA, 9 July 1812 | |
American 1隻(El) vs British 8隻(Av) | |
修理が完了し、7月3日にニューヨークを出港したポーター(David Porter)船長はバミューダに向け針路をとった。 ハリファックスに向かう7隻の敵艦を発見したがポーター船長はこれらをやり過ごし、ホーキンス大佐(英)の乗船する護衛艦HMS Minervaから距離を置いていた。 12Lの長砲身6本と40発の砲弾を持つだけの、ポーター船長に選択の余地はなかった。 彼は日暮れまで待ち、護衛艦を回避し、敵艦の1隻を沈めた。 |
SCENARIO FF-2 | |
COMMODORE RODGERS, 19 July 1812 | |
American 6隻(El/Cr) vs British 5隻(Av/Cr) | |
アメリカの宣戦布告から36時間以内にロジャース提督(米、Commodore Rodgers)はニューヨークを出発し、HMS Belvideraを基地外に追いやった。 7月14日、ニューヨークを封鎖するため、イギリスのブローク艦隊(Broke)がニューヨーク沖に到着。 USS Constitutionはその4日後に到着した。もしロジャースの出港が遅かったら、港の沖合でアメリカの艦隊がイギリスの北アメリカ艦隊と交戦し、決定的な海戦が行われていたかもしれない。 |
SCENARIO FF-3 | |
CONSTITUTION VS. SHANNON, 19 July 1812 | |
American 1隻(El) vs British 4隻(Cr) | |
アイザック・ハル船長(US)がアナポリスから出向した(乗組員の募集に時間を費やしていた)。彼はロジャースと合流するため、ニューヨークを目指したが、ロジャースがすでに出港していることを知らず、夜中に港に到着したハルは、外にたくさんの船があるのを見つけたが、敵か味方かわからないまま、彼は賢明にも夜明けまで待った。その後の逃走劇では、USS Constitutionは捕らえられずに済んだ。 |
SCENARIO FF-4 | |
BROKE'S CHALLENGE, 22 April 1813 | |
American 2隻(Cr) vs British 2隻(Cr) | |
フィリップ・ブローク提督(英、Philip Broke)は、ボストン沖のイギリス封鎖艦隊の指揮を執っていた。封鎖艦隊によって4隻のアメリカ軍艦をボストンに閉じ込めていた。ロジャースが2隻のフリゲート艦を率いて出港することを知ったブロークは、カラフルでスポーツマンシップに溢れた人物だった。 ロジャースに挑戦状を叩きつけた。シャノン号(Shannon)とテネドス号(Tenedos)を除く全艦を派遣し、ロジャースが希望するアメリカのフリゲート艦2隻と対決するというものであった。しかし、ロジャースはこれを断り、翌日には封鎖を突破した。 |
SCENARIO FF-5 | |
PORTER VS. HILLYAR, 28 March 1814 | |
American 1隻(El) vs British 2隻(Cr) | |
Valparaisoで強風に遭遇したポーター船長(Porter)は 2隻のイギリス船と戦うことを余儀なくされた。 戦闘のほとんどの時間、エセックス号(US Essex)の砲弾の射程距離を超え、船尾が露出した状態で、無力になるまで叩かれたが、乗組員の何人かは岸にたどり着いた。 |