The Crusades Western Invasions of the Holy Land (SPI, 1978)

騎士たちの生存競争

事前プロットによる同時移動、7人対戦という半端な人数のマルチゲーム、煩雑なブックキーピング、電卓必須のCRT、無制限スタックから生ずる超ハイスタック(崩れて隣のスタックと混じりあう)、雑誌ゲームにしたためのコンポーネント不足(すべてメモしろという)という、失敗作としか思えないゲームスペックでありながら、実際に対戦してみると、「Battle for Stalingrad」、「Tito」などと並ぶSPIの傑作であることがわかります。

1978年リリースの「The Crusades」は、華やかな十字軍の裏側を、リアルにゲーム化しています。

遠征には"聖地奪還"という神聖かつ明確な目標があるわけですが、実態は、生き残るための食料戦・経済戦であり、騎士達の「どうしてこんなところまで来たのか?」というぼやきが聞こえるような展開になります。エルサレムに行くのをやめて独立国を作ることも勝利条件として設定されており、これも史実的に正しいのです。

300戦力で登場する十字軍は、仲間割れしないなら、第5ターンまでは無敵です。しかし冬季が近づくと、戦争そっちのけで巣篭もりを始めることになります。安全に冬を越せる都市のキャパシティは25戦力しかなく、「キャパシティを超える戦力は都市の外に出なければならない」というルールがあります。ルールにはそれが書かれるべき理由があるわけですが、このゲームデザイナーの意図は、冬が来て、このルールの大切さに気づいたプレイヤーを、あわてさせることにあると思います。
イスラム側は、十字軍が束になってかかってくるか、分裂して勝手な独立国を作る陣営が出るかで戦略は違ってくると思いますが、いずれにせよ、十字軍をどこに誘導するかを冬季前に計画すべきです。

十字軍は、都市から得た収入(=生存に必要な財産ポイント)を、船か部隊を使って前線まで輸送しなければなりません。これには最低でも3ターンかかるので、そんなことをしているうちに雨季が来て川を渡れなくなり、やがて冬になります。さらに、輸送の過程でも、損耗表によってユニットは少しずつ戦力を失い、場合によっては途上で完全消滅します。財産ポイントをユニットを使って移動するシステムは、"(SPI) CAMPAIGN FOR NORTH AFRICA"の補給システムを思わせます。

統一したリーダーシップを持たずに遠征に出た十字軍と、彼らが遭遇した苛酷な自然環境、神がかった騎士を待ち受けるサラセンの軍団。他に類を見ない戦争をうまく表したゲームです。
2006年、リチャードバーグはこのゲームをベースに、"(GMT) Onward, Christian Soldiers: The Crusades"を制作しています。

歴史
二百年続いた十字軍遠征の発端は、ビザンツ帝国の皇帝がローマ教皇に救援を依頼したことであるとされる(1095年)。
しかし真の原因は、当時のヨーロッパに蔓延していた飢饉だと思う。

1096年に発生した大飢饉とペストによって、フランスだけでも10万人が死亡した。貧農は人肉を食べて生き延びたと記録されている。行き場のない貧民を宗教によって組織化したのが隠者ピエールだったが、彼が率いた民衆十字軍はイスラム軍に容易に撃退された。
その後、ローマ教皇の後押しによって組織された第一回十字軍も、実態は、4,500名の騎士に35,000名の飢餓民が加わった集団だった。武器も靴も持たない彼らは、エルサレムに到達するまでの三年半に飢えと戦闘で1/4まで減り、途上、公然と人肉が調理されたという。


ルール化された真実

マアッラで、我らが同志たちは 
大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで 
子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった。
(アラブ年代記
)

マアッラとは、現在のマアッラト・アンヌマー 、マップのhex2110である。
映画での十字軍のイメージは、甲冑をまとったノーブルな騎士集団だが、一方で十字軍の野蛮性も言い伝えられている。実際の十字軍は、貴族や諸侯よりも、暴力と略奪で生計を立てていた無頼の徒の方が多かっただろう。報酬ゼロ、行き倒れの可能性が高い遠征に参加した理由は、飢饉が蔓延するヨーロッパにいるより、まだ生存のチャンスがあったからに違いない。

栄養学のない時代、ビタミンC不足から壊血病になる者も多かった。
12世紀の中東は、気候変動によって35〜51度の猛暑が続き、途上多くの者が水不足で倒れた。1187年(第二回十字軍)、ヒッティーンの戦いでサラディンは十字軍を水源から離れた場所におびき寄せ、暑さの中に敵の騎士を置くことで戦術的優位を得た。猛暑は第七回十字軍まで続いた。
冬も夏同様に危険で、降雪と寒さから弱者から先に死に、雨により食料が腐った。水はけの悪い丘陵地帯は洪水を作り、馬や人々、糧食を押し流した。

「The Crusades」でも、ユニットは移動距離に比例して戦力を消耗し、動かなくても1戦力ずつ減る。雨のシーズンでは渡河できない。補給が断たれるとサラセン軍はほとんど動けなくなるが、それでもユニットは損耗しない (= 暑さに強い)。包囲攻撃に負けた側の戦闘力はゼロになってしまう(皆殺し)。

第三回十字軍シナリオ(1189 −1192年)
このシナリオでは1191年4月〜1192年8月を30ターンで扱う。
エルサレム陥落の報を聞いて編成されたのが第三回十字軍である。ローマ教皇グレゴリウス8世の呼びかけに応えて参加したのは,十字軍の歴史の中で最もきらびやかといわれる人々、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イングランドの獅子心王リチャード1世(Richard I Coeur-de-Lion)、フランス王フィリップ2世(Philip Kg France)だったが、フリードリヒ1世は1990年6月にキリキア(Cilicia、トルコ南部)のサレフ川(Saleph hex0803)で溺死したため、ゲーム開始時には、ドイツ騎士のほとんどは帰国している。

リチャードとフィリップは別々の船団で中東に向かう。途上、リチャードはキプロス島に上陸して、勝手に十字軍国家を作っている(勝利ポイントでルール化)。リチャードとフィリップの仲は悪く、1191年7月にリチャードの指揮でアッコン(Acre hex1619)を奪還した後、フィリップは義務を果たしたとして帰国した(これはランダムイベントで表現)。残ったリチャードは、イスラムの英雄サラディン(Saladin)と死闘を繰り広げ、互いに譲らぬ戦いを続けた。

リチャードのとった作戦は、第二回十字軍と同じ轍を踏まない、というもので、輸送船団を伴走させながら地中海沿いを南下した。それに対し、サラディンは偽の奇襲を仕掛け、内陸へおびきよせる作戦をとった(アルスフの戦い hex1522)。ゲームでも、これと同じ戦い方ができる。

リチャードの十字軍はエルサレムまで20kmの地点に到達したが、最終的にはエルサレム奪還を諦め、キリスト教徒の巡礼をサラディンに認めさせて帰国した。どう考えても悪は十字軍で、サラディンが正義だが、そうイメージされることが少ない大戦争である。

【ルール覚書】
"Vision"は司祭が観たとされる"幻視"をルール化したものである。
強行軍ルールの代わりにMovement Attritionがある(従って移動力すべてを使い切ることを前提としていないと思う)。
SiegeされているCity hexのユニットは、周囲6ヘクスにZOIを持つことはできない。
Siegeを行っている側は冬季でも損耗を完全に免れる、というルールがある。食糧難の時に、断食して裸足で城壁のまわりを7周してエルサレムを陥落した史実をルール化しているのだろうか?
冬季、平地で停止しているユニットのMovement Attritionを減少させるために、無意味な移動をしてよいかどうか、事前のとりきめが必要。
動かないユニットのMovement Attritionの計算を忘れやすい。
"Occupy"と"Control"は別。"Occupy"していないと税収が得られない。
戦闘結果によってコマンダーのGuile Ratingが変わることを忘れていた。[21.4]
[6.4]Clarificationの"If the forces used different routes, use the highest hex attrition value."の意味は、複数のスタック(単一のプレイヤー、もしくは複数のプレイヤーによる複数スタック)が移動し、その始点と終点が同じヘクスであり、なおかつ一部のスタックが他のスタックとは異なるルートをとる場合、Attrition pointを計算する上で、それらは単一のスタック移動とみなし、なおかつすべてのスタックが最大コストのルートを取ったとみなす、という意味。このようにして生じたAttrition pointsは、プレイヤー間で均等に分け、各自のASPの量とプロポーショナルでなければならない。
bezantsの用途
すべてのプレイヤー: Bribes、捕虜の売買、その他の交渉ごと
Crusaders,Byzantine: Movement AttritionとSiage AttristionによるASPロスの補填(しかし、Attritionが発生していないのにASPの増強をするためには使えない。)
Fatimid: 自国以外の港の使用料

(2020年8月23日YSGA例会 で三人集まり、全20ターンのうち第8ターンまでプレイ)

2020年 8月23日(日)YSGAで三人で全20ターンのうち第8ターンまでプレイ