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The
General Vol.19 No.5 P33 THE LEVANT, THE RUSSO-TURKISH WARS ON THE SEAS 第一次露土戦争 1768年、ロシア帝国はオスマン帝国に宣戦布告した。 エカテリーナ大帝の命を受けたアレクシス・オルロフ伯爵提督は、クロンシュタット艦隊を率いてレヴァントへ向かうよう命じられた。 この艦隊は、ロシアで唯一有効な戦闘艦隊であった。 トルコは、ロシア船が地中海に到達することが信じられず、何の事前警戒もしなかった。しかし、それは間違いだった。12隻の戦艦と12隻のフリゲート艦を率いたオルロフはポーツマスに寄港、ロシアとイギリスの友好関係により物資の補給を受け、改装まで行った。艦隊はビスケー湾を横断し、ジブラルタル海峡を通過、バレアレス諸島に一時停泊し、乗組員や船は長い航海の疲れを癒すことができた。 地中海諸国はロシア艦隊の遠征にあまり乗り気でなかった。 特にベネチア共和国は、ロシア船がアドリア海にアクセスできないように自国の艦隊を派遣した。オルロフは特に気にすることはなかった。彼は小さな艦隊を率いてイオニア諸島をめざし、 1770年3月、ナヴァリノ湾に基地を築いた。 |
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SCENARIO L-1A | |
THE BATTLE OF TCHESME, July
5-6, 1770 チェスマの海戦(1770) |
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Ottomans 17隻(Av) vs Russians 14隻(Av) | |
11時45分、オスマントルコ艦隊はロシア軍車両に砲撃した。しばらくして、ロシア艦隊も応戦し、戦闘が激しくなったが、12時30分までエルフィンストーンの船が敵の射程内に入った。 |
SCENARIO L-1B | |
THE BATTLE OF TCHESME | |
Ottomans 18隻(Av) vs Russians 16隻(Av) | |
SCENARIO L-2 | |
THE BATTLE OF KERTCH, July 19,
1790 ケルチ海峡海峡の戦い(1790年) |
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Ottomans 18隻(Av) vs Russians 16隻(Av) | |
オスマントルコは優勢な戦力で、ロシア艦隊と平行して風上に向かって並走する。カプダン将軍(Kapudan)の戦列艦が風上にあるため、ウシャコフ(Ushakov)は6隻のフリゲート艦に合図を送り、風下に第2隊列を形成させ、敵の陣形に対応した。 作戦は正午に開始された。3時間の間、様子見の砲撃戦が続いた。 しかし、風向きが東風から北風に変わると戦闘が緊迫した。 ロシア艦隊はこの新しい風に向かって舷側を上げ、同時にトルコ軍も舷側を上げ始めた。 同時にトルコ軍は右舷に接近し始めたが、その際、2隻が衝突して大損害を被った。 一隻はミズンマストを失い、もう一隻は副司令官の旗艦で、かつての主力艦であったが、前檣中檣を失った。 |
SCENARIO L-3 | |
THE BATTLE OF TENDRA, September
8,1790 テンドラ岬での戦い |
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Ottomans 22隻(Av) vs Russians 16隻(Av) | |
SCENARIO L-4 | |
THE BATTLE OF CAPE KALIAKRA,
August 11, 1791 カリアクラの海戦 |
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Ottomans 18隻(Av) vs Russians 17隻(Av) | |
一方、オスマンは18隻の戦列艦、10隻の大型フリゲート艦、7隻の小型フリゲート艦、43隻の小型軍艦とガレー船で構成され、合計1600門の砲を持っていた。 オスマンの優位は50%であった。(トルコの優位は50%であった(オスマン帝国のフリゲート艦隊は、このシナリオではユニット化されない。マイナーな役割だったので)。 |
SCENARIO L-5 | |
THE DARDANELLES, May 22-23, 1807 | |
Ottomans 14隻(Av) vs Russians 11隻(Av) | |
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SCENARIO L-6 | |
THE BATTLE OF ATHOS, June 27, 1807 | |
Ottomans 18隻(Av) vs Russians 10隻(Av) | |
SCENARIO L-7 | |
THE BATTLE OF VARNA, August 29, 1810 | |
Ottomans 15隻(Av) vs Russians 13隻(Av) | |