ゲームレビュー 「Decision Iraq」 | ||
Decision Iraq 当時の報道で目にしたのは、秩序を喪失したイラク国家 - 相次ぐ政府官僚の殺害、自動車爆弾攻撃、双方が勝利宣言した市街戦(Outbreak: Fallujah) - でした。ティクリートで日本人外交官が射殺されたのは2003年11月ですが、犯人はいまだ不明です。 ゲーム化に際してミランダが引用したシステムはダニガンが1970年にデザインした「S&T#21 Chicago, Chicago!」です。「Chicago, Chicago!」は、1968年のイリノイ州シカゴで開かれた民主党大会の流血の惨事を描いたゲームなのですが、ミランダによれば、「警官と群集の衝突のモデルがイラク紛争に酷似している」というのです。
|
||
ゲームの背景 その方針はすぐにAl Qaedaを保護する国家の打倒となり、不朽の自由作戦の目的は「アフガニスタンに民主政権を導入し、人々を抑圧から解放する」に変わりました。テロ組織を支援する政権を倒さない限りテロとの戦いは終わることがなく、中央アジアに安定した民主政権を設置することは、合衆国の安全保障の目的と一致するとされたのです。2001年11月に米英軍によって首都カブールが陥落、カルザーイによる暫定政府が成立したのです。 翌年になると、アメリカの安全保障措置は、「世界からテロの潜在的脅威を取り除く」に拡大しました。イラク、イラン、北朝鮮を大量破壊兵器を準備する「悪の枢軸」とした上で、アメリカの防衛戦略には、世界の専制主義国家の民主化と、その国の産業発展が加わったのです。中でもイラクのサダムフセイン政権は「差し迫った危機」であり「文明への敵」とされました。 2003年、集団安全保障(国連安保理決議1441)を根拠として米英軍はイラク侵攻を開始しました。3月19日から始まったイラクの自由作戦は、4月9日にバクダッドが陥落、5月1日にBush大統領が空母エイブラハム・リンカーンの艦上で"Mission accomplished"演説を行うほどの迅速な展開でした。
2004年4月、当時まったく無名だったFallujahでBlackwater USAの傭兵4名が殺害され死体が橋に吊るされた事件は、CNN、BBCによって世界中に報道されました。この事件とそれに続く米軍による、たった五日間の第一次Fallujah掃討作戦は反米意識の拡大を招き、Muqtada al-Sadr師(写真左)ら宗教指導者の市民兵がアメリカ軍に牙をむいたのです。 そして同年8月に開始された、第二次Fallujah掃討作戦「Operation Phantom Fury」は、熾烈を極めたドアツードアの戦闘となり、第二のHuếと報道されました。しかも米軍とイラク抵抗軍の両方がこの戦闘に勝利を宣言したのです。 ゲーム「Decision Iraq」は2004年7月、すなわち第二次Fallujah掃討の直前から始まります。 |
||
評判がすべて 機動力のある米軍にとって、圧倒的な戦力で敵を叩くことは容易です。しかしOver-killが出ると信用を失墜し、勝利ポイントを10~20喪失します。それは確率1/3で発生します。これは30ポンイトからスタートする米軍にとって死活問題であり(0で負け)、その結果、急進的イスラミストとアメリカ兵が入り乱れて共存することになるのです。
アメリカ軍にとって戦争の目的は、単純な敵ユニットの壊滅やテリトリーの奪取ではなく、アメリカの威信とイラクの秩序の回復です。イラク民兵プレイヤーにとっては、アメリカ軍の信用を傷つけて戦争をできなくすることが重要な目標となるでしょう。
しかし、強いユニットでも確実に戦力アップできるわけではなく、戦闘比4対1まで集めてもステップアップできる確率は1/2。わけのわからないCRTとあいまってイラク情勢は混沌としてきます。
Netwarポイント デザイナーズノートにも「ルールはいくらでも複雑にできるが、"Decision Iraq"はいかにシンプルにするか工夫した」とあります。 ルールの新鮮さ、展開の早さ、わけのわからないCRTは「鬼才ミランダ」というべきものです。今年対戦した中で一番面白かったゲームでした。 |
||
|
||
12/22/2013 YSGAで対戦。対戦いただいたMさんありがとうございました。 |