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ゲームレビュー 「Decision Iraq」

Decision Iraq
Modern War#6の付録「Decision Iraq」は、2003年にブッシュ大統領がイラク戦争の戦闘終結を宣言した後の5年間のイラク紛争を描いたゲームです。

当時の報道で目にしたのは、秩序を喪失したイラク国家 - 相次ぐ政府官僚の殺害、自動車爆弾攻撃、双方が勝利宣言した市街戦(Outbreak: Fallujah) - でした。ティクリートで日本人外交官が射殺されたのは2003年11月ですが、犯人はいまだ不明です。

ゲーム化に際してミランダが引用したシステムはダニガンが1970年にデザインした「S&T#21 Chicago, Chicago!」です。「Chicago, Chicago!」は、1968年のイリノイ州シカゴで開かれた民主党大会の流血の惨事を描いたゲームなのですが、ミランダによれば、「警官と群集の衝突のモデルがイラク紛争に酷似している」というのです。



ゲームの背景
「パールハーバー以来のアメリカ本土攻撃」と言われた2001年9月のWTC崩壊から一ヵ月後、アメリカ大統領が自国民に宣言したのは、さらなる攻撃からの防衛であり、それはアフガニスタンのAl Qaeda拠点への先制攻撃でした。国家間の戦争と異なり、宣戦布告なしに攻撃してくる国際テロリストに対しては、相手が行動を起こすまえに叩く必要があったのです。

その方針はすぐにAl Qaedaを保護する国家の打倒となり、不朽の自由作戦の目的は「アフガニスタンに民主政権を導入し、人々を抑圧から解放する」に変わりました。テロ組織を支援する政権を倒さない限りテロとの戦いは終わることがなく、中央アジアに安定した民主政権を設置することは、合衆国の安全保障の目的と一致するとされたのです。2001年11月に米英軍によって首都カブールが陥落、カルザーイによる暫定政府が成立したのです。

翌年になると、アメリカの安全保障措置は、「世界からテロの潜在的脅威を取り除く」に拡大しました。イラク、イラン、北朝鮮を大量破壊兵器を準備する「悪の枢軸」とした上で、アメリカの防衛戦略には、世界の専制主義国家の民主化と、その国の産業発展が加わったのです。中でもイラクのサダムフセイン政権は「差し迫った危機」であり「文明への敵」とされました。

2003年、集団安全保障(国連安保理決議1441)を根拠として米英軍はイラク侵攻を開始しました。3月19日から始まったイラクの自由作戦は、4月9日にバクダッドが陥落、5月1日にBush大統領が空母エイブラハム・リンカーンの艦上で"Mission accomplished"演説を行うほどの迅速な展開でした。

ところが、その後もアメリカ軍はイラク抵抗軍から非正規攻撃を受け、民間人の誘拐と殺害が頻発、8月には国連事務総長ら22名の職員が爆殺、11月には日本人外交官2名が殺害されました。12月のSaddam Hussein逮捕後も治安は回復せず、IED(即席爆発装置)、相次ぐ輸送ヘリの墜落により、アメリカ兵の死亡者数は2003年5月までの死者数を上回り、Bagdad空港からグリーンゾーンまでの12kmが、世界でもっとも危険な高速道路になりました。

2004年4月、当時まったく無名だったFallujahでBlackwater USAの傭兵4名が殺害され死体が橋に吊るされた事件は、CNN、BBCによって世界中に報道されました。この事件とそれに続く米軍による、たった五日間の第一次Fallujah掃討作戦は反米意識の拡大を招き、Muqtada al-Sadr師(写真左)ら宗教指導者の市民兵がアメリカ軍に牙をむいたのです。

そして同年8月に開始された、第二次Fallujah掃討作戦「Operation Phantom Fury」は、熾烈を極めたドアツードアの戦闘となり、第二のHuếと報道されました。しかも米軍とイラク抵抗軍の両方がこの戦闘に勝利を宣言したのです。

ゲーム「Decision Iraq」は2004年7月、すなわち第二次Fallujah掃討の直前から始まります。

評判がすべて
「Decision Iraq」の勝利条件は、自国と国際社会における「評判」です。プレイヤーは、直接的な戦果より、それが国際世論にどう映るかを計算しなければなりません。驚くべきことに、それはCRTに表されています。

機動力のある米軍にとって、圧倒的な戦力で敵を叩くことは容易です。しかしOver-killが出ると信用を失墜し、勝利ポイントを10~20喪失します。それは確率1/3で発生します。これは30ポンイトからスタートする米軍にとって死活問題であり(0で負け)、その結果、急進的イスラミストとアメリカ兵が入り乱れて共存することになるのです。


国の秩序を回復せよ

ゲーム開始時のイラク武装派軍の勝利ポイントが70であるのに対し、アメリカは30です。アメリカ軍プレイヤーは評判が失墜した状態から始めなければなりません。

アメリカ軍にとって戦争の目的は、単純な敵ユニットの壊滅やテリトリーの奪取ではなく、アメリカの威信とイラクの秩序の回復です。イラク民兵プレイヤーにとっては、アメリカ軍の信用を傷つけて戦争をできなくすることが重要な目標となるでしょう。


争いのないところに争いを作れ

「Decision Iraq」で特徴的なのは、ユニットの戦力がステップアップするCRTです。この仕組みによって、プレイヤーは、戦略上なんら必要性のない都市に攻撃を仕掛けることになります(弱い敵をみつけて戦闘力を上げるのが目的)。

しかし、強いユニットでも確実に戦力アップできるわけではなく、戦闘比4対1まで集めてもステップアップできる確率は1/2。わけのわからないCRTとあいまってイラク情勢は混沌としてきます。

悪名高き「コントラクター」
"請負人"と呼ばれる彼らは、民間軍事会社Blackwater USAが派遣した傭兵である。2004年3月31日にFallujaで待ち伏せにあい橋に吊るされた4名のアメリカ人はBlackwaterのコントラクターだった。

民間人であるという理由から、戦場での不法行為があっても軍事法廷で裁くことができず、戦死者にもカウントされない。彼らの目的はただひとつ、短期間で金を稼いで帰国することだ。その高額な報酬から、アメリカ軍正規兵とは犬猿の仲だった。

2007年9月にはBlackwaterの傭兵がイラク人17人を殺害する事件が発生し、アメリカ政府は、少なくとも14人の射殺には正当性が認められないと判断した。

アンサール・アル・イスラム
Sunni派の急進的イスラミスト。アメリカ特殊部隊はイラク戦争より一ヶ月前の攻撃によって、アンサール・アル・イスラムを壊滅したはずだったが、その後も彼らは自動車爆弾と自殺攻撃を繰り返し、アメリカ軍の手厳しい反撃に何度もあっている。国籍を問わず親米派の民間人、警官、兵士を誘拐・殺害し、ビデオで公開した。

ヨーロッパに資金源と支援組織があり、ドイツとスウェーデンで逮捕者が出ている。

ゲームではオプションで自爆攻撃ルールがある。

 

Netwarポイント
戦争と外交のダブルスタンダード、国際世論へのデモンストレーションのための攻撃、地元およびアメリカ議会の支持、勝利条件をひとつのスケール「Netwarポイント」で表している点は驚くべきことです。2004~2008年の情勢が、わずか10ページのルールで表現されているのです。

デザイナーズノートにも「ルールはいくらでも複雑にできるが、"Decision Iraq"はいかにシンプルにするか工夫した」とあります。

ルールの新鮮さ、展開の早さ、わけのわからないCRTは「鬼才ミランダ」というべきものです。今年対戦した中で一番面白かったゲームでした。

 

ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日」 コンドリーザ・ライス


ブッシュ政権で大統領補佐官と国務長官を務めた8年間の自伝。

平易な英語で書かれているこの本は、幅広い読者層を想定していることが伺えます。
注目すべきは、アフガニスタン、イラク戦争を、まるでウォーゲームのようにプラグマティックな視点で語る部分でしょう。

彼女にとっての勝利条件は、アメリカ大統領の威信と権力の拡大。アフガニスタンに民主主義政権を樹立するのは、「宗教によって抑圧されたイスラム女性の解放のため」と言いながらも、合衆国がイスラム北部同盟と連盟した理由は、「CIAがコンタクトしやすかったから」。
2003年のイラク戦争については、「知らないうちに決定され、知らないうちに大統領がサインしていた」そうです。

職務に忠実であろうとするがゆえに、政治という巨大な軋轢に巻き込まれるストーリーは、まるで善良な隣人が書いた本のようです。本書は、「このダイエットで10kgやせた」という女性誌の記事と同程度の読み物として読むなら十分楽しめます。

日本語版P59の「散発的な争い」は「低強度紛争(Low-Intensity Conflict)」の誤訳です。


12/22/2013 YSGAで対戦。対戦いただいたMさんありがとうございました。