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ホビージャパンの日本語解説書は、なぜかピンク色だった。

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↑当時の唯一の情報源。しかし、ほとんどの広告文は実際のゲームと異なるものだった。

月刊ホビージャパンが、ミニチュア、ジオラマ製作の延長でウォーゲームを記事にしたのが1972年4月号で、その後、ほぼ毎号、模型によるウォーゲームを紹介した。アバロンヒルズのゲームが日本で発売されたのが1975年だから、ホビージャパンは実に3年もの間、種を蒔いていたことになる。
その後も「アバロンヒル大会」を開くなど、プラモ少年にウォーゲームを広め続けた。エポック社、ツクダ、バンダイまでウォーゲームを発売した80年代の大ブレイクは、ホビージャパンぬきに語れない。