Into the Valley of Death
もっとも危険な渓谷"Korengal"

(VanityFair、Gurdian、NPR などから)

アフガニスタンに観光産業があるなら、全長10kmのKorengal Valleyは宣伝写真に最適な場所だろう。草原には暖かな日差しが降り注ぎ、雪を頂く山脈が背後にそびえる。
しかし現在、Korengal Valleyは北アフガニスタンでもっとも危険な谷間である。パキスタン国境と首都Kabulの間に位置するKunar州のこの渓谷は、タリバンとアルカイダの活動拠点である。開戦以来、アフガニスタン全体の1/5の戦闘はここで発生し、NATO軍の空爆の3/4はこの渓谷の周辺に実施された。ここでは丘から丘、稜線から稜線へ100メートル単位の攻防が行われている。2005年に特殊部隊SEAL3名が命を失い、救出に向かったチヌークは撃墜され16名が死亡してから、アメリカ軍は渓谷の半分を占領した。

Korengalに安全な場所はない。アメリカ軍前哨基地は文字通り毎日、ゲリラ勢力の襲撃を受けている。2007年7月のある日には24時間で13回の攻撃があった。断崖が多いので、バンカーに設置した銃機関銃に死角が多く発生する。ゲリラ側の射撃は反対側の山、あるいは数百メートルの距離から行われる。基地は鉄条網とクレイモア地雷で囲まれ、いざという時、50メートル以内のすべてを吹き飛ばす。
基地に水道、電気はなく、狙撃される懸念から兵士はトイレに行く時でも防弾チョッキを身に着けている。アメリカ軍に協力するアフガニスタン人は何人もが誘拐され、死体は基地の前に投げ捨てられた。

Korengalのゲリラ側指揮官はエジプト人Abu Ikhalas al-Masriとアフガン人Ahmad Shahである。
al-Masriはソビエト軍相手の聖戦時代からこの地でゲリラを統率している。Ahmad Shahは2005年に特殊部隊SEAL3名を殺害しチヌークを撃墜した部隊のリーダーであり、両名ともアルカイダから資金提供を受けている。
この勢力と別に、サウジとクエート政府から資金を提供され、パキスタン諜報組織の支援を受けている軍事組織Jamiat-e Dawa el al Qurani Wasouna(J.D.Q.)がアルカイダと勢力を競っている。

ソビエト軍の轍を踏まない
「ソビエト軍の轍を踏まないこと」がアメリカ軍戦略の底流にある。1980年代、Korengalはムジャヒーディン(義勇兵士)がパキスタンから流入するルートの入り口だった。ムジャヒーディンはKorengalをベースにHindu Kush沿いに東に侵攻し、Kabul周辺のソビエト軍を圧迫した。アメリカ軍の軍事プランナーは、タリバン/アルカイダ軍がかつてのムジャヒーディンと同じ作戦をとることを恐れている。
パキスタンのDirとChitralにはタリバン/アルカイダ勢力が潜伏しており、第二最高指揮官Ayman AL-Zawahiriの存在がDirで確認されたことから、Osama bin Ladenもこの地域にいる、とみられている。

1979年、アフガニスタンに侵攻したソビエト軍は、圧倒的な武力で脅威となるものはすべて破壊、市民の7%を殺害したが戦争に勝つことはできなかった。アメリカ指導層は、戦争に勝つ唯一の道は、市民が長期的にゲリラを支援せずゲリラにならないことだと考えている。アメリカ軍は経済支援を含め、市民とゲリラを分断する政策をとっているが、成功していない。

Korengalの集落の族長Haji Zalwar Khan(60歳)は、アドバイスを求めて訪れたアメリカ軍基地司令官Jim McKninght大尉に、荷物をまとめて帰れ、と言った。Khanは、自分の集落はゲリラ組織と全く関係ない、と断った上で、「唯一の解決方法はアメリカが去ることだ。彼らが来てから状況は悪くなった。」と語った。Khanは「ゲリラがアメリカ軍と戦争しているのは知っているが、どこにいるかは知らない。」と言う。
彼は遠くの山頂を指して、「われわれには何もできない。」と言うのだった。


Restrepoバンカーで擲弾を発射するアメリカ軍兵士。Restrepoとはこの部隊で戦士した衛生兵の名前である。

「ワールドトレーディングセンターを攻撃したテロリストはKorengalで訓練を受けた。ここはアルカイダにとってもっとも安全な場所だ。」、と現地で聞かされた兵士もいる。
しかし、ほとんどのアメリカ人兵士にとって9/11の報復、という政治的理由は戦う動機になっていない。Korengalにいるアメリカ人兵士の多くは、生活を変えるため、あるいは父親が兵隊だったから、(犯罪を犯して)判事から監獄か兵役かを選択させられたから、という理由から兵役を願した者だ。Jose Urrutina軍曹は、「ここはひどいところだ。やることをやって五体満足で帰国する。それだけだ。」と言う。

2007年10月時点で、アフガニスタンの自爆攻撃の数はこの二年間で8倍になった。駐留軍の損害は去年を上回り、首都Kabul周辺にもゲリラ勢力が出没する。それだけでなく、アフガニスタン北部の部族と武装集団は、アメリカ駐留軍の撤退に備えて武器の貯蔵をはじめている。


http://www.vanityfair.com/politics/features/2008/01/afghanistan200801?currentPage=1
http://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,,1964056,00.html
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=16123139
http://peacelikeariverblog.com/2007/08/korengal-valley.html