Baghdad Today
1.クエートの建設会社、タコ部屋の存在を否定
2.誰もが盗みをしている
3.転居先なし

(Herald Tribune、ABC Newsなどから)

1.クエートの建設会社、タコ部屋の存在を否定
Kuwait company denies Filipino workers taken to Iraq without their consent to wrok on U.S. Embassy  (2007年8月12日)

バクダッドのアメリカ大使館はフィリピン人労働者を監禁して建設された、と証言する者が現れた。この証言をしたのは建設会社First Kuwaiti社の元社員Rory J. Mayberry氏で、同氏はアメリカ連邦議会における公聴会の中で「誘拐(kidnapped)」という言葉を使った。
医療技術者であるMayberry氏はFirst Kuwaiti社に雇われ、51人のフィリピン人労働者をクエートからバクダッドにエスコートした。ドバイの石油プラントで働くと信じていた彼らは全員搭乗前にパスポートを取り上げられ、バクダッド行きの旅客機であるにもかかわらずドバイ行きの搭乗券を渡された。Mayberry氏は、添乗員のFirst Kuwaiti社社員から、行き先をフィリピン人に喋るな、と口止めされた。
飛行機が離陸してから、行き先がバクダットであることを知ったフィリピン人達はクエート空港に引き返すよう騒いだ。しかし、添乗員(First Kuwaiti社社員)が機関銃で彼らを制したという。

バクダット空港に着いた一行はそのまま待っていたバンに乗せられ、グリーンゾーンを越えてアメリカ大使館新館の建築現場に連れて行かれた。奇妙なことに、本来必要である写真つきIDのチェックは、グリーンゾーンの検問所でまったく行われなかった。
フィリピン人は工事現場から出ることを許されず、劣悪な労働環境に長期おかれた。
First Kuwaiti社元社員John Owens氏は、「バクダットにおける労働者の生活環境は悲惨で、普通の労働者の限界を超えるもの」と公聴会で証言した。Fact Internationalの報道によれば、労働は1日12時間で週7日、月給300ドル、わずかな違反で給料は減額され、鎮痛剤が「まるでキャンディのように」労働者に配られていたという。工事現場に娼婦が出入りしていたが、これはFirst Kuwaiti社マネージャーが連れてきたものだった。


世界最大の大使館 (2006年8月31日撮影)

フィリピン政府は、2004年7月以降イラクにおける自国民の労働を禁止しているが、現在でも7,000人がイラクに居住している。フィリピン外務次官Esteban Conejos氏は、クエート政府に外交文書を送り、フィリピン人がイラクで働かないための支援を求めた。
Conejos氏によれば、「51人のフィリピン人」のうち実際は11人が本当のフィリピン人で残りは他の地域から来た労働者」だったという。First Kuaiti社もこの事実を認め、11人のうち6人は既にフィリピンに帰国し、残り5名ははじめから行き先がバクダットであることを知っていた、と述べた。

アメリカ国務省Howard Krongard氏は、外国人労働者が不正にアメリカ大使館建設に従事させられたという告発は事実に基づかない、としたが、一部の労働者に対する賃金と生活環境の説明に「ミスリード」があったことを認めた。First Kuwaiti社はまた、2007年7月26日の下院議会の公聴会で、アメリカ大使館建設における粗末な仕事作業と安全基準の逸脱で告発を受けている。
監視再建委員会代表のHenry A. Waxmanは同社について「議会および納税者に対し説明不能であるかのように装っている」と述べた。

告発に対しFirst Kuwaiti社はアラブ圏を含む5つの主要な新聞社に広告を掲載、「労働者達は出発前、大使館施設現場で働くより以前に、イラクに行くことに同意していた。」「当社は偽りの告発に対し断固として、当社の信用を守る措置をとる」と、処罰されるような行為はなかったと述べた。

2005年からはじまったバクダットのアメリカ大使館建設は592百万ドルの費用をかけ、2007年9月に完成予定である。104エーカーの21棟の施設は世界のアメリカ大使館の中で最大であり、バチカンより広い。

続報:
US Embassy Opening in Baghdad Delayed Indefinitely

2007年10月9日付のABC Newsは、バクダットのアメリカ大使館がいまだ完成していないと報道した。予算は既に144万ドル超過し、数百ヶ所におよぶ防火その他のレギュレーション違反、電気系統の問題が指摘されたという。
下院監視委員会代表Henry Waxman氏(民主党)は、「問題は深刻であり広範囲に及ぶため、新大使館の21のいずれの施設も人間の居住に適さない。」と報告、説明を求める書簡をRice国務長官に送った。工事の遅延は、First Kwaiti社の粗末な工事と、国務省の杜撰な監督が原因である、と議員(複数)は指摘する。

ABC News, Herald Tribune,www.corpwatch.org,www.business-humanrights.org,www.mcclatchydc.com,www.factjo.com


2.誰もが盗みをしている。国家財産は魅力的であり、みんなが欲しがっている。
Iraqi corruption and theft rampant
Herald Tribune December 3, 2007

失業者は500ドル払えば警察官になれる。水道メーターの闇価格は200ドル、小学校の教科書は三倍の価格で街の本屋から買わなければならない。大学の学位は40ドル、窃盗は日常の行為だ。
もちろん、イラクの無法状態は今にはじまったことではない。しかし、横行する不正は目を覆いたくなるほどの規模だ。今年、ワシントンは駐留米軍を増強したが、それによってイラクの治安が向上したとしても、イラク国家は腐敗と汚職という新しい陥穽に落ちようとしている。
今年の秋、イラク政府の反汚職委員会は、2004年以来1800万ドル相当が汚職で喪失していると発表したが、その委員長は発表後に亡命した。理由は、過去三年間で委員会のメンバー31人が殺害されていたからだった。

米軍司令官(複数)によれば、累積する不正によって、イラク政府は国民に対し基本的なサービスを提供する能力を喪失している、という。不正はまた民主主義への不信を拡大し、政府内部の分裂を大きくした。(イラク政府はイスラム教徒多数派のShiite派が主導しているが、Shiite派内部でも緊縮財政による改革に対して反対するグループが存在する。)

もちろんコーランの一節には"神は腐敗を愛さない。"とはっきり書かれている。サダムフセイン政権崩壊後からはじまった強奪と窃盗は、大多数のイラク人にとって恥ずべきことだが、同時に、避けられない罪だった。人々は金持ちになるために盗みをするのではない。それは生存のための手段であり、誰もがやる以上、自分も同じことをしなければならないのだ。
公務員Abu Muhamanndの上司は、オフィス内のパソコン、レーザープリンタ、家具を丸ごと誰かに売った (これらはアメリカの援助によって購入したものだった)。この上司は逮捕されず、処罰も受けなかった。
バクダットの厚生省の倉庫からはトラック二台分の医療品がトラックごと消えた。アメリカ軍が警備についていた兵士に尋問すると、何も見ていない、と彼らは答えた。

「行われている不正の規模は想像を超えるものだ。」と、Sunni派の国会議員Shatha Munthir Abdul Razzaqは語る。「法整備が不十分で、違反しても処罰する規定がない。」
法律によって大臣は、部下への汚職嫌疑を放免する権限が与えられている。今年、Nouri Kamal al-Maliki首相が行った改革は汚職追及をさらに困難にした。大臣と元大臣を汚職で訴追するには首相の許可が必要になったからだ。

イラクの失業率は40%以上と言われ、軽敏な犯罪は「生活のため」という理由から正当化される。日々の生活は依然不安定であり、街の静寂の底流には宗教的対立、貧困と怒りが渦巻く。ベルリンに本部を置く独立系調査会社Transparency Internationalによれば、163の調査対象国の中でイラクは三番目に不正がひどい国家である(1位と2位はソマリアとミャンマー)。
「誰もが盗みをしている。国家財産は魅力的であり、みんなが欲しがっている。」とSadr CityのShiite派リーダーAdel al-Subihawiは嘆いた。

http://www.iht.com/articles/2007/12/02/africa/baghdad.php


3.転居先なし
No Forwading Address
www.theatlantic.com

バクダッドの南、チグリス川の西に首都の喧騒から離れた一角に、中流階級が住むSaydia通りがある。
イラクにアメリカ軍がやってきた時、ここでは複数の人種が普通の生活を楽しんでいた。通りにはヤシの街路樹が並び、ocher色に塗られた家々は芝生のスロープや高い塀に囲まれていた。
住民には、サダム・フセイン政権の軍幹部もいたが、裕福な実業家も家を構え、一般のShia派とSunni派の家が入り混じっていた。男も女も近所の商店街に出かけ、夜まで路上で立ち話をした。

今日、多くの屋敷や商店は空家になり、あるいはシャッターが下りて、通りを歩く者はいない。Saydia通りは民兵や犯罪者の侵入を防ぐため、イラク軍によって封鎖されている。
以下の地図は2006年後半のSaydiaの様子を表している。過去2年間暴力がこの地域を襲い、サダム・フセイン政権下で居住していた多くの住民は脱出した。すくなくとも7つの家族がイラクから亡命した。