コンピュータとウォーゲームの歴史 D. Ezra Sidran |
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二十世紀の最大の事件とは、言うまでもなく、二度繰り返された世界戦争である。戦争は1918年にいったん終結したかに見えたが、1937年(日本が中国に侵攻)に再燃し、1945年まで燃えた。芸術、文学、政治、科学などすべての分野がこれらの戦争の影響を受け、あるいは影響を及ぼしている。その中で、戦争において不可欠な役割を果たし戦争の結果さえも変えたのは、ウォーゲームとコンピュータである。
ウォーゲーム
アメリカ合衆国では、米西戦争後の海軍大学においてマッカーティ・リトル大将 (McCarty Little, 1878-1960)の推進で海戦ゲームが研究されている。この研究に注目した海軍次官セオドア・ルーズベルト (Theodore Roosevelt, 1858-1919)は1897年、リトル大将に、「貴官のBigな戦略ゲームを一度拝見したい」と書簡を送っている。当時の海戦ゲームは、ホールの床いっぱいに艦船ユニットを並べて行われていた。
機械式コンピュータの導入 ウォーゲームとコンピュータ
エニグマ解読機「コロッサス」 |
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チェック・メイト
チャールズ・ロバーツ
商用版ウォーゲームのはじまりは、1950年代にロバーツがデザインしたTacticsである。このゲームは1958年にTactics IIにバージョンアップされ、ロバーツは自分で作った会社「Avalon Hill」から続々とウォーゲームを市場に送り出した。Games Reserch社のDiplomacyを除いて、この時代の商用版ウォーゲームはすべてAvalon Hillから発売されたものである。すべてと言い切れるのは、ウォーゲームを民間ゲームとして販売すること自体がロバーツ独自のアイデアだったからだ。現在中高年になっている人が最初にプレイしたウォーゲームは彼のデザインによるものか、Avalon Hillで開発されたものである。 ロバーツがウォーゲームを社会に広めた功績は計り知れないものがあるが、ゲームデザインを進化させた功績もまた大きい。1958年のGettysburgは、初の正確な歴史リサーチに基づくウォーゲームだった。1961年にはD-DayとWaterlooが相次いで販売され、翌年に発売されたBismarckは、プレーヤーがお互いのユニットの移動を紙に記録するゲームに発展していた。その翌年のStarlingradは世界初の東部戦線のゲームで、1964年のAfrika Korpsでは補給ユニットと補給システムが導入されていた。同年のMidwayは、最初に航空母艦を扱ったゲームである。(日本の宇垣中将はどう思うだろう?)1964年のAvalonHillの販売総数は62,000個に達していた。 ボード・ウォーゲームの黄金期 1970年代はウォーゲーマーにとって黄金期だった。この時代の「Stragegy & Tactics」誌のコアな読者は十万人を越えていたと言われ、たくさんの会社がウォーゲーム産業に参画した。ウォーゲームの普及とともにルールは複雑化し、ルールブックは分厚く、たくさんのチャートによってダイスの目に修正が加えられるようになった。 家庭用コンピュータが参戦!
栄えある最初の商業版コンピュータ・ウォーゲームデザイナーは、Chiris Crawfordである(彼は後にベストセラー、Patton vs. Rommel、Balance of Powerをプログラムする)。すなわち、1978年12月、Bill HensonがCrawfordの家を訪ねてコモドアーPET用のTankticsを買った時が、商用版コンピュータ・ウォーゲームのセールス第一号なのである。 コモドアー版Tankticsはグラフィック表示がなく、プレイヤーはコマンドラインから入力し、出力されたマップ座標をプリントアウトされた地図の上で参照するようになっていた。しかしながら、グラフィック表示にわずらわされなかった分、Crawfordは移動情報の制限、射線、コンピュータによる作戦の計算などのプログラミングに没頭することができた。 激しいビジネス戦
1980年になるとSSIは、Computer Ambush、Computer Napoleonics、Computer conflict、Computer Air Combatを発売、この頃のゲームタイトルにはすべて「Computer」が頭についていた。1980年に300,000ドル(3600万円)だったSSIのセールスは翌年には897,000ドル(1億764万円)になり、この数字は当時のウォーゲーム業界の中では最高と思われる。SSIのベストセラーは、Roger Damonが1986年に製作したWargame construction Setで、53,000本が売れた。 やがて、歴史家やメインフレームの技術者もウォーゲーム開発に加わるようになった。1985年に伝説のSid Meier (後にCivilizationを発売)は、Edward Bever博士とともにコマンドシリーズCrusade in Europe、Decision in the Desertを発売、その翌年にはConflict in Vietnamをリリースした。一方、Caltech社のコンピュータ・エンジニアWalter Brightは1976年にFORTRAN-10でEmpireを製作、このゲームはAtari STとAmigaに移植された後、1986年にIBM PC用にC言語で書き直されている。すべての時期を通じて最も売れた商用コンピュータウォーゲームはUniversal Military Simulator(UMS)であろう。UMSはIBM PC、Amiga、Apple IIGS、Macintosh版があり、シナリオディスクのセールスも含めると累計で10万本出荷されている。
1992年の「PC Computing」誌によれば、家庭用ソフトウェアのシェアの中でウォーゲームは36%を占めていた。家庭用コンピュータのメモリがより多くなり、計算速度が速くなるにつれ、より精密なウォーゲームが求められるようになった。360社のHarpoon、Mark BaldwinがQuantum Quality Productions, Inc.から発売したPerfect General、そしてUMS II: Nations at Warは、80〜90年代初期を象徴するゲームである。今後も、コンピュータ・ウォーゲームは密さが求められ複雑化するだろう。 |
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my comments: 地上戦シミュレータ
商用ウォーゲームの軍事使用
軍用ウォーゲームの民間使用 America's Armyが発表されてから数年が経過した現在、ゲームのメジャーバージョンアップはなく、その後大きな反対運動がおきたというニュースも聞かない。もしかすると、ビデオゲームは陸軍が予想した程、リクルートの役にたっていないのかもしれない。 ネットからダウンロードできる軍用シュミレータはAmerica's Armyだけでなく、Armored Task Forceのような、陸軍大尉によって作られた限りなく軍用に近い商用シュミレーションもある。THQ社のC-Force (絶版)、Quick Silver社のFull Spectrum Commandは、民間と軍関係者の両方を対象とした軍公認のゲームである。 結論
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