OBITUARIES "That is sad news. Redmond had a talent that he developed and used.
It must have given him some pleasure to see his work constantly being
bid up in value on eBay. No other graphic artist has had as much impact
on the way wargames look, and work. A one-of-a-kind guy if there ever
was one." - James F. Dunnigan |
Mr. Redmond A Simonsen, a co-founder of SPI passed away in March 11th,
2005. His games will forever remain in our hearts.
Sirnonsen氏の導入したアイデアは、今日、ウォーゲームのスタンダードになっているものが数多くある。ルールブックのコラム・ナンバリングシステム、SPI独特のマップデザインやコンセプトなどは同氏の発案によるものである。 Cooper Union(政府によって全学生の授業料が免除されているエリート校)で、1964年にファインアートの学位を取得したSirnonsen氏は、卒業後、本の表紙、レコードのジャケット、広告デザインを手がけた。SPIにおける彼のデザインはミニマリズムを強く意識したもので、直線やシンプル、無機質で機能的なものが多い。彼の作風はSPIスタンダードと言えるナンバリングされたマップや、「Tito」、「City Fights」に端的に現れている。タイポグラフィー(印刷文字を使ったグラフィック・デザインの総称)を思い切り効かせたパッケージはSPIゲームの顔だった。「ゲームデザイナー」という地位を作ったのがSirnonsen氏である、と言う人さえいる。 Sirnonsen氏は、ノルウエーからの移民を父母として1942年ニューヨークに生まれた。Sirnonsen氏の父親はブルーカラーの工員で、仕事中にビルから転落して亡くなっている。Sirnonsen氏は、1985年にテキサスに引越しするまで、アッパーマンハッタンの自分が生まれたアパートで暮らしていた。
Sirnonsen氏はかんしゃくが切れることがあり、その時のアプローチは恐喝的だった。頭の回転が速すぎて、他の人々がそれを理解するまで待たない傾向があったのだ。要点だけを言うか、ただ端的に発言した。ゲームデザイナーに電話帳を投げつけたことは伝説にさえなっている。しかし、彼は、相手が誰であろうと、年齢がいくつであろうと、傾聴すべき意見には耳を貸す人だった。 1982年にSPIが閉鎖された後、自発的に同窓会が企画され、Madison通り23番のFlanaganに50人の男女が集まった。SPIのあらゆる時代の元デザイナーや元スタッフが遠隔地からやってきたのだ。Sirmonsen氏もその中にいて、ビールを飲んで会話がはずむと、みんなで踊りはじめた。驚くことに、Sirmonsen氏は、エルビスプレスリーの物まねをはじめた。しかも本物そっくりなのだ。後で聞いてみると、彼はエルビスの大ファンで、高校の時は黒の皮ジャケットを着ていたという。 |
|
|
257 Park Avenue South (between 20th and 21st, 3rd floor) |