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1943-44年の空軍戦:
Luftwaffe対RAF

第二次大戦中のもっとも大きなキャンペーンのひとつは、イギリス空軍による第三帝国への戦略爆撃である。

一般的に、RAF (Royal Air Force) のドイツ本土への夜間爆撃は心理的効果以上の成果はなかったとされるが、実際には驚くべき軍事先端技術が投入されていた。そしてドイツもイギリス空軍の夜間爆撃に対し、最新の科学技術で対抗していた。

 


Sir Arther "Bomber" Harris


1943年のハンブルグ

数多くいるイギリス空軍の司令官の中で、その存在が際立っているのはアーサー"爆撃"ハリス卿であろう。
1942年2月下旬に長官となった彼は、戦略爆撃が勝利の鍵であるとして、都市部への空襲を強固に推進した。それまでイギリス空軍は民間人に死傷者が出ることを避けるために、海軍ドックや軍事建造物を攻撃していた。
1942年2月14日、ハリス卿は命令書の中に、「貴官達の作戦の目標は、今後は敵民間人の士気に的を絞るべきであり、具体的には工業労働者達の士気である。」と記している。
(中略)
夜間攻撃の精度を向上させるため、RAFはOboeレーダー航法、短距離地形照射レーダー、IFF敵味方識別ビーコンを開発し、1942年から1944年3月までの間にドイツの43の都市を爆撃し、ハンブルグ、ドレスデンを火の海に変えた。

ドイツ空軍もまたFW190A-5、Bf109GなどによるWild Boar戦法、Tame Boar迎撃法を開発、さらにはDunkelnachtjagdと呼ばれるレーダー防衛システムで対抗、IFFを逆探知するレーダーが採用されるようになると、RAF爆撃隊はLfutwaffeの待ち伏せを受けるようになり、IFFや地形レーダーの使用を最低限に抑えなければならなくなった。同時にRAFは、ドイツ軍のレーダーを撹乱するためにチャフを散布するなど、現代の空軍戦の原型となる空中戦を繰り広げていた。

そして、これらのドイツの抵抗により、イギリス空軍は、ドイツの工業力の破壊に予定通りの戦果を上げられなかった。
1944年、ベルリンが空襲されると、ヒトラーは"Vengeance"兵器、V-1、V-2を生産しイギリス本土を爆撃した。ある見積もりによれば、これらのミサイル兵器をドイツが生産しなかったなら、25,000機の迎撃機が代わりに生産できた、とされる。