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計算されたリスク: コルウェジ救出作戦 (この記事はS&Tの翻訳とは微妙に異なります。) |
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歴史 当時ポルトガル領だったアンゴラは、1961年より国家独立の覇権めぐってMPLA(アンゴラ解放人民運動)、UNITA(アンゴラ前面独立民族同盟)、FNLA (アンゴラ国民解放戦線)が三つ巴の内戦を行なっており、しかもそれぞれのグループに米、ソ、中国、キューバ、コンゴが各々の立場から軍事支援するという代理戦争の舞台となっていた。 アンゴラに逃れたカタンガ独立派は、最初はポルトガルの傭兵となったが、MPLAがアンゴラ国内の大半を掌握する頃にはMPLAの傭兵になっていた。カタンガ兵がMPLAと連携した理由は、政治的イデオロギーによるものよりも、むしろコンゴ政府がMPLAと対立するFNLAを軍事支援していたという理由からだった。 |
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第二次シャバ紛争 1978年5月13日未明、最新兵器で武装し、行き届いた訓練を受けていた「Tiger」部隊は同地域のコンゴ守備隊を即座に撃退し、コンゴ政府協力者の逮捕と殺害、市内の略奪をはじめた。コルウェジの炭鉱会社で働く2,500名のヨーロッパ人も監禁された。 ベルギー、フランス、アメリカの三カ国がザイール支援を表明したが、モブツ(コンゴ大統領)の過去の残虐行為から、国際社会にはカタンガ独立派に同情的な声もおきた。 はじめに、旧宗主国のベルギー政府が空挺コマンドをザイールに派遣したが、これは政治交渉のための派兵であり、交戦するつもりがまったくない部隊だった。そしてアメリカ大統領ジミー・カーターが米第82空挺師団の派遣を検討している間に、ザイール政府の情報部は、カタンガ兵がヨーロッパ人捕虜を処刑し、カタンガ州をアンゴラに領有する計画を持っていることを無線傍受によって知った。 これにより、アメリカとフランスが直接的な軍事介入を行なうことが決定し、インドシナ戦争、アルジェリア戦争、チャド、ジブチ共和国で戦った精鋭、第2外人落下傘連隊(2nd REP)の4個中隊がアメリカ空軍機で投入されることになった。 |
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コルウェジ救出作戦 (Leopard作戦) 「Tiger」部隊がコルヴェジを占領できたのは、同部隊が十分にトレーニングされたものであり、アンゴラ政府が最新の武器を供与したからだった。しかもコルヴェジのコンゴ守備隊は錬度が低かった。しかし、「Tiger」部隊の軍事的失敗は、コルヴェジ占領後に、さらにコンゴ領内に進攻するか、あるいはコルヴェジを強固な防衛拠点とするために各種施設を建造し陣地化すべきところを、コルヴェジの略奪と市民殺害に時間を浪費したことである。 一方、2nd REPは、奇襲のモーメンタム(慣性、力、リズム)を最大限に利用し、作戦に成功した。2nd REは降下と同時に数ヶ所の軍事目標を同時に攻撃したが、予備部隊をまったく持たないこの攻撃は、「Tiger」部隊に有効な反撃ができた場合は甚大な損害を被ったと思われる。用法が困難と言われる空挺作戦のメリットが機能した作戦である。 |
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